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人文情報学研究 振り返りに代えて

大きな障壁には、大きな夢を

ヒトは太陽を求めて、東へ、東へと歩いた、何万年もかけて。
またある人は御仏の教えを求めて、西へ、西へと歩いた、砂漠も、雪山も越えて。
またある人は黄金の国を求めて、世界の果てから虚空に落ちる恐怖に打ち勝った。
障壁を越えるには、それが大きければ大きいほど、大きな希望が必要だ。

人文学に情報工学を取り込むには、現状、大きな障壁があるように思える(特に古文書類を扱う場合)。そこにどう立ち向かうか。

一つ、個人の研究を擲って、大いなる進歩の礎として人文情報学の基盤づくりに邁進する。アポロの軌道を手計算した女性たちのように、大いなる進歩は、その陰で道を切り開いた人たちとともにあるのだから。

あるいは、自らの研究にどんな方策を取り得るか熟考し、情報工学の専門家と協働して隧道を穿つ。何を求めるか、何が可能であるか。真摯な応酬が必要だ。

もちろん、待つ、というのも一つの合理的な選択である。とくだん情報学的なアプローチを必要としないなら、使いよいものができあがるのを待ってからその道へ進んでもいいだろう。それはだれも咎めない。ただし、もし研究を一種の競争と捉えるなら、情報化の荒波に飛び込んでもがき苦しんだ人は、その先で一日の長を得るだろう。後追いするものは二番煎じになることを覚悟する必要がある。

新しい試みには、新しい枠組みを

シェイクスピアがベーコンかどうかは積年の謎であったから、計量文献学がこれに焦点を当てた、というより、そのためにこそ計量文献学が生まれた、ともいえる。けれどだからといって、計量文献学がいつも「作者問題」に取り組まなければいけないわけではない。「ヘンリー六世」が実は合作であった、というのは発見だろうが、はなから「合作です」と宣言されている歌舞伎の作者をあえて計量して論じるなら、それなりの切り口が要るだろう。

例えば音楽について考えてみよう。作曲家には「楽譜」というれっきとした作品がある。しかし現実には、指揮者や演者によって、音楽は変わりうる。古典の楽曲が、制作された時代、近代、現代、どれぐらい異なる速さで演奏されているか、という研究がある。あるいは音量や強さについても。それは「時代の雰囲気」や「演奏会場」に添って変化していくものだろう。

芸能が辻や境内で行われていた時代から、文字どおりの小屋がけ、さらに、様々な機能を備えた劇場での公演へと変化していく中で、当然、演目は長く、複雑になっていったはずだ。だが一方で、あまり長いと飽きられるから、「ヤマ場だけ」演じるという変化も起こる。

あるいは、当代一の人気役者が立役であるか、女形であるか、それによって流行りの演目が変わるかもしれない。同じ演目でも、人気の場面が変わることもあるだろう。どの場面が長くなり、どの場面が簡略化されたか、それが時代背景とどう関係しているか、時系列で追うことができるはずだ。

個人的には、傷を負ってから事切れるまで長々しゃべる場面、あれは昔からあんなに長かったのか、それともだんだん長くなったのか、だれか教えてくれないかなと思う。

さらに言うなら、情報化は各分野で個別に起こるわけではない。情報化されれば、異分野のデータや研究を容易に引き出せるようになる。すると、回り舞台や奈落を可能にした建築工学と、黒船をも驚かせた日本の船大工を含め、大工、宮大工、城郭建築の関係を論じられるかもしれない。実際、江戸時代になり、平和になり、築城が制限されたことによって、高度な技術を持った大工が余ったから、「たかが芝居小屋」があんなに高度になったのかもしれない。(当てずっぽうです)。

一口に「元禄時代は農業、商業が発展し、華美な文化が開花した」と言っても、具体的に農業や商業はどう発展したのか。それは芝居の中にどう見え隠れするのか。農学や経済学のデータを使って、今よりずっと具体的に研究することができるだろう。

情報化の向こうには、今までは考えなかったような、考えても取り組みようがなかったような、今はまだ見えない新しい切り口が、いくらでも見つかるはずだ。

だから、若い皆さんは、「人文情報学とはこいうものだ」という先入観に囚われないでほしい。そして新しい視点、視角を、貪欲に見つけてくれたらよいと思う。


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