『コロンブスの図書館』 読後
写本から印刷本の時代となり、情報の波にのみこまれながら、それまでの「限られた人のための、限られた分野の書籍を、厳選して集める」という図書館のあり方を根底から覆した、クリストファー・コロンブスの息子、エルナンドの伝記。
p379-p381
・・・・・・・だがなんといっても、彼が抱いた最大の野望である、全世界の知識を集めた宝庫ーーキーワードによる検索が可能で、概要を通じて様々な情報に触れ、異なる基準に沿った並べ替え、そして世界中に広がる拠点からのアクセスが可能なそれはまさしく、ほぼ500年後に登場するワールド・ワイド・ウェブ、サーチエンジン、データベースといった、インターネットの世界を予感させるものだった。エルナンドの努力は並大抵のものではなく、彼が描いたプランは驚異的だが、じつは彼が目指したプロジェクトは、デジタル化や、テクストを読み取って他の言語に書き換える機械の能力、コンピュータのブール論理で動く検索アルゴリズムなしには不可能なものだった。こうしたテクノロジーが現実のものとなると、情報産業界の巨人グーグルは、グーグル・ブックス・プロジェクトにおいて、エルナンドの死後500年のあいだ滞っていた作業の大半を、わずか数年で完成させた(だがしかし、この革新的なプロジェクトもまた、たちまち著作権をめぐる法的な問題にはまり込み、いま現在もなかば非公開事項となっている)。
エルナンドにとって世界図書館が実現不可能な夢であったとしても、彼の根気強い取り組みは、同じように夢を抱き、同じように困難に直面している我々の世代に、じつに多くの教訓を与えてくれる。日々急激に増えていく情報に直面するデジタル時代にあって、全世界のチャート化を目指すデジタル検索社会は、(エルナンドと同様)あることに気づいた。あらゆる情報は、分割し、分類し、効果的に検索できなければ使い物にならない、つまり「死んでいる」ということだ。図書館(あるいはインターネット)をさまようユーザーが一番ほしい情報は何かを予測し、彼らの問いに応じてそれを提示することに多くの力が注がれてきたのは当然といえるだろう。それはある程度、しかたがない。人はどうしても、自分が見たいものへ導いてくれる地図に目がいくものだから。しかしこの場合は必然的に、そして容赦なく、無限に続く鏡のように、すでに知っている情報だけが延々と与えられる世界へ導かれることになるだろう。エルナンドは明らかに、当初の目録がこの問題をはらんでいること、つまり、それらの目録が機能するのは、探している本の著者やタイトル、テーマがわかっている場合のみであることに気づいていた。それで彼は死のまぎわまで、全世界に通じる図書館(そしてその延長線上にある知識)の仕組みをつくろうと取り組んでいたのである。それは人びとが知らない場所、おそらく存在すら知らなかった場所を歩きまわるためのものだ。この情報時代においても、見知らぬ領域を歩き回れるようにしてくれる地図はいまだ存在しない。それがないために、我々はより狭い場所へと自分たちを追い込み、ただ目に触れないという理由だけで、変化に富んだ無限の世界にますます無関心になってしまいかねない。国と国の文化が壁で仕切られ、図書館の別々の棚に配置されたのちにナショナリズムが台頭したように、情報の欠如はほぼまちがいなく破滅的な影響を及ぼすだろう。
せめてもの救いは、新たな分類ツールをもつ情報革命によって我々の世界とは大きく異なる世界が闇に包まれ、違いも共通点も何も見えなくなってしまったとしても、その世界は完全に失われたわけではなく、長い間眠っていた場所から(エルナンドの世界のように)いつか掘り起こされる可能性があるという点だ。・・・・・・(太字 宙)
だから『四次元年表』は
エルナンドの大事業にならべて語るのは、「痛い」話かもしれないが、それでもあえて、書いておこうと思う。
だから『四次元年表』は、著作権にかかわらない「事実」だけを扱う。
だから『四次元年表』は、自由閲覧の開架式図書館をめざす。人はだれでも、なじみのない分野の書架の間を、自由に歩き回り、未知に出会ってほしい。
だから『四次元年表』は、縦横無尽な検索を可能にして、思いもかけない視点から、新しい事実に出会える機能を実装したい。
四次元年表
三次元・四次元表示
四次元年表の使い方
四次元年表for Mobile
そうは言っても「壮大」過ぎると受け入れられないので