おとうさんからたいせつなきみたちへ 18 「努力はいらない」
努力はいらない
成功するために、幸せになるために、願いを叶えるために、努力はいらいないと言ったら、君はどう思うだろう。
きっと衝撃的だろうな。
なぜなら、世の中では、努力こそが成功の鍵だと教えられているからだ。努力している人に価値があり、努力している人こそが、成功を手にしていると・・・。
でもな、その一方で、「努力しなくてはいけない」「まだまだ、こんなんじゃダメだ」「努力しなくては自分には価値がない」と自分を奮い立たせ、時には自分を責め続け、たくさんの人が悩み、苦しんできた。
自分を責め続け、悩んでいる人の多くが、とてもまじめで、努力している人が多い。
なぜ、そんなことわかるのかって?それはお父さんもずっとそういう考えだったからだ。努力にこそ価値があると思っていた。
エイブラハムの教えと出会うまではな。
お父さんは、「才能がない自分は常に努力していないといけない、努力している自分じゃないと、誰にも認めてもらえない」という恐怖とずっと闘ってきた。
でもな、努力に終わりはないんだ。いくら努力をしても、次に見えてくるのは次の努力のみだった。自分では頑張ってるつもりでも、周りからは認めてもらえなかった。
お父さんは「愛」を探す場所を間違えていたんだ。愛や価値は自分の外側、誰かが与えてくれるものだと思っていた。誰かが認めてくれた時、初めて自分には価値があるのだと信じていた。
その時は生きることがなかなか苦しかった。そりゃそうだ。なぜなら、その時のお父さんは「誰かに認められなければ自分には価値がない」と強く信じていたのだから。
その時に、お父さんの人生に大きなコントラストが起きた。体を壊すというコントラスト。
今となればいい経験だ。そのコントラストから生まれた願いによって、今、こうして健康で幸せにいられるし、こうして君にこの教えを伝えることができるのだから。
「愛を探す場所」については後で説明しよう。
ここで、一つだけ言えることは、他の人は関係ない。君はただ存在するだけで計り知れない程の価値があるということ。いいか、何度だって言う。君には計り知れない程の価値がある。君がただ存在しているだけでだ。
話を戻そう。努力について
エイブラハムは言う。
例えば、川にカヌーを浮かべたとして、川の流れに逆らい、努力して上流に向かってオールを漕ぎ続けた先に願いが叶う場所があると多くの人が思っている。でも、それは違う。
一度オールを手放してみるといい。川の流れに逆らわず、リラックスして流れに身を任せる。下流に流された先にこそ願いが叶う場所があると。
つまり、努力を手放し、人生の流れに身を任せてこそ、最も抵抗がなく、そして楽に願いが叶っていくということ。
例えば、有名な野球選手がいるとする。成功者だ。彼は、努力の天才だと言われている。本当にそうだろうか?彼にとって一番の努力とはなんだろう?
もし、その選手が「野球をするな」「野球をしてはいけない」と言われた時、きっと大好きな野球をしないことこそ、彼にとって一番努力がいることなのではないのだろうか?
もし、君が今夢中になれること、大好きなこと、それをやらずにはいられないくらいワクワクすることがあったとして、それをすることに努力はいるか?きっといらないだろう。でも、それをやり続け、自然とうまくできるようになった時、周りの人は君を見てこう言うだろう。「あの人はめちゃくちゃ努力していた」と。
大切なことは努力することではなく、努力を努力と思わないくらい夢中になれるものを見つけることだと思う。
そしてそれは必ず見つけることができる。
もし、見つからないのならば、ただただリラックスして、人生の展開に身を任せるといい。きっと勝手に素晴らしい未来に誘導される。君が望めばその答えは必ず与えられるんだ。どうだ?めっちゃワクワクしないか?
ちなみに、今この本を書いているお父さんは、この本を書くことを努力だとは思っていない。君たちに何かを伝えられることが楽しくてしょうがないからだ。
君たちも些細|《ささい》なことでいい、自分を気分良くさせること、ワクワクすることをやってみるといい。それが、君の人生に彩りを与えてくれるかもしれない。
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