娘のトライデント・ハンドが私の雲を貫通した日
娘を見て腹の底から笑ったことがある。
二歳三か月の娘と二年三ヶ月の付き合いの中で訪れたその笑いと、私の天気と娘の手のことについて。
*****
三月のと或る日。
妻は朝から仕事に出、私と娘は家にいた。昼食から昼寝を無事に終え、一緒に遊ぶ穏やかな午後に・・・・二歳の娘はついに思い出した。
「ママ」
たった二文字で表せる、娘にとって最愛最強・全てが詰まった一語、「ママ」
先日二語文「ママ・どーじょ」を繰り出したものの目下主流は一語で、ママ、パパ、これ、が発語の八割(残り二割は、どーじょ、ちょちょ、ぱんちゅー、にゃー、しー、ぴ、等が散見される)。
「ママがいない」なのか、「ママをここへ」なのか。
ママに会いたがっている…。
さあ、どうしのぐ…?
*****
娘のDNAは少し個性的で、三尖手(トライデント・ハンド)と呼ばれる手をしている。
手だけではない。娘の持つ身体的特性を「全身の骨の病気で、特に腕や脚の骨が伸びない」と説明するならば、それは一部だけを切り取った不正確な、そしてある意味「わかりやすい」誤解だ。
今から頭をよぎる、「娘にいつか話す時」。どのように、なるべく正確にかつ、わかりやすく説明するか?
娘はいつか気付くだろう、自分の腕や脚や指が「他の子と比べて」短いことを。成長期を迎え差がついていく身長の違い・見た目の違いを。そして教えられなければ知るのはだいぶ後になるだろう、体内にこそ様々な懸念材料があることを。
「さーちゃんの腕はね、ゆっくりのびる腕なんだよ、足もね、指もね。」それがうまい伝え方なのかわからない。「手も足も、小さいけれど、かわいいね」事実なのに、なんで取ってつけた様な感じがするんだろう。
実はあんまり猶予はない。何らかの説明をすべき時は近い。三歳になれば成長ホルモン療法の為、娘の体に毎日注射針を刺すことになる予定だ。理由を説明せねばならないが…。
娘から「脚を伸ばしたい」と言われたわけでもない。でも娘の為に毎日その儀式を執り行わなければならない。
「ごめんね、腕や脚を伸ばすためだから…」それは避けたい、楽しくいきたい。でも痛いのは娘なんだよ。理由は伝えないといけない。
「お手てと、足の薬だよ」全然説明になってない。薬は病気の時につかうものです。でも何の病気?軟骨無形成症だよ。ふーん、それだとどうなるの?うーんと、他の子と比べてね…
比べる必要なんてない。どんな言葉を使えば思いを伝えられるだろう。
もどかしい。私は困惑するかもしれない。妻は涙するかもしれない。
親としてできること とは。
*****
私は「バランスをとる」事が得意な人間だ。それは仕事で・人間関係で、自分の身のこなし方として活きている。そういうタイプの人間だ。悪いもんじゃない。生きていくための処世術。けれど娘のこととなると難しい。
*****
「ママ」と呼ぶ娘に、尋ねてみた。
「ママに会いたい?」
*****
娘が産まれる前に、先天性疾患専門の医師から言われていたこと。
「軟骨無形成症、ほぼそうだろう、と思っています」
そして実際そうだった。
当初何を尋ねていいのかすらあやふやで手応えがなかった。私達夫婦はとにかく、産まれる前の娘に、産まれた後の娘に、もう生まれている娘に、「何が起こりえるのか」を調べまくった。不安に制圧されぬよう妻は必死に戦っていたけれど、打ち勝つことは難しかった。けれど本当にがんばっていた。
世界にさんにんぼっちの私達であったが、インターネットを駆使し、すぐに
孤独ではない事が観測できた。同じ病気を持ちながら社会的に活躍している
人、穏健な暮らしをしている人のブログなど、多くの人を窓越しに発見できた。その窓をノックするため、私達はSNSを始めた。
私の思いは「ノックをしに行く前に自分達も知ってもらおう、それを見て、来てくれる人もいるかもしれない」であり、そこで生まれる交流や、安心、ちょっと楽しいことなんかを、妻と共有していきたかった。ブログを学び書きはじめ、やがてTwitterを始めた。その傍らで妻はInstagramを中心に静かで堅実な繋がりを少しずつ広げていた。
妻が、新しく知り合ったという同じ境遇の当事者の方や親御さんとのやりとり、可愛い子供達の写真や映像を見せてくれるようになって、私は嬉しかった。
*****
私は昔から自称「雨男」だが、それは何かカッコつけてるだけで、実態は曇り男だ。色んなことを知るごとに曇っていく。多様な病気の中の、多様な骨系統疾患の中で、医療的ケアと共に生きる子・その親がいる。全く同じ病気でも、合併症が重症化し大きな手術をせざるを得なくなる子もいる。後遺症が残る人もいる。うちの娘は、今も今までも何事もない。齢二歳三か月にして既に6回もMRI検査を受けてはいるけれど。
頭骨の成長度合いにより「神経束が通る道に十分な広さがない場合」は、骨を削り孔を拡げる手術が必要となる。また、水頭症に対処するために頭の中・体内にシャント(管)を入れる子もいる。その手術を受けている子がいる。命のため。親の心配いかなるものか。想像に難くないが、実際想像できない。MRI検査を受けるだけだって可哀想だったのに(最初妻は泣いていた)。
だから何も言えない気持ちになる。難病、障害と調べていく中で、もっと大変な病気の、何となくなくしか知らなかった世界の、色んなことを知ってしまった。知り合った人たち、同じ病気を持つ子でも、合併症が出、手術を受けている子がいる、その子を見守る親御さんがいる。それらを比較して、自分の中でバランスをとろうとしている。私は「知る」ことで、「わきまえる」ようになり、どんどん何かを言いにくくなっていく。幸せは測れない。比べられない。はずだ。私は欲深い。
*****
会いたい?
問われた娘は目を合わせ、こく!と頷く。ママが家に居ないことはわかっているのだ。娘は立ち上がり、「これ!」と言って、頭上に掛かるウィンドブレーカーをびしっと指し示す。いつもお出かけに欠かさず着せているものだ。
着せてやると、私に向かって ばっ!と両手を広げ、「んっ!!」
抱っこをしろと言っているのだ。玄関から連れ出せと言っているのだ。
「よし、ママ探しに行こうか」
こく と頷く。私も上着を着こみ、外出に必要な物を持って娘を抱き上げる。
「こっち!」 家の間取りは私も熟知しているが、腕をぴんと伸ばし廊下を指し示す娘の案内で、歩き出す。
*****
『トライデント』とは「三叉の槍・矛・フォークのような三つ又の銛や農具」とある。海神ポセイドンが持っているのもトライデントだそうだ。娘の手は、広げると 親指 - 人差し指中指 - 小指薬指 と、さながらフォークのように3つのまとまりになる。「カニさんの手を作って」と言われて私達がつくるような形だ。トライデント・ハンドは三尖手、娘の持つかっこいい、かわいい武器だ。
*****
廊下を玄関に向かいながら、私の首にしっかりその短い腕を回し短い指で掴んでいる娘に語りかけた。
「ママ、どこにいるかな、会えるかな」とかなんとか、そんなことを言ったと思う。
その時。
私の目に映った、娘の顔が、本当に最高だった。
どこで会えるかも知らないだろうに、「ママに会いに行く」それだけを信じる、”使命に満ちたような顔”。
目はきらと輝き、眉はきりっと、微かに眉根を寄せた、その真剣な表情。
進む足を思わず止めてしまった。一瞬の事だったけれどその顔に見入った。
そして”それ”は来た。何かが、腹の底から、湧いてきたのだ。
んっぷふ、はっ、はっははは!
こみ上げてきた塊は気持ちよく私の口から飛び出していった。愉快だった。そしてなぜか泣きそうになっていた。娘はきょとんとした。
玄関を出、階段を降りる。外は、ちょうど雨が降り始めていた。
「雨降ってるねー」
「んねー」
「・・・戻ろうか?」
「んっ(こくん)」
こうして私達の冒険は終わった(行かんのかーい)。
雨は降っていたけど、私の中の雲は吹き飛んだような気がしていた。
*****
そのまま雨の中を突き進めば、更なる展開が待ち受けた物語になっていたのかもしれないけれど、娘も納得していたし、ねえ。
でももう私の中では素晴らしいことは起きた。あの時娘は、さながらドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の如きカリスマでトライデント・ハンドを掲げ私を導いた。その槍は、ぼっ!!!と突き飛んで私の雲に風穴を開けた。愉快な笑いでぶち抜かせてくれた。何だか色々な事を考えて、曇っていた私に。
自由だ。この子は、ちょっとくらい人より腕が短くたって、脚が短くたって
関係ない。この子の導く所へ、向かいたい所へ、私達は一緒に進んでいこう。見たこと感じたままに、見たいこと感じたいことを、表現していこう。たくさん教えて、たくさん教えてもらおう。
娘は先日、鳥の羽根の写真を見て、「みーみ」と言っていた。「耳かな?羽根じゃない?」と私は言ったが、兎の耳だと教えてくれていたのかもしれない。