妻と娘と3人家族。娘は2018年に軟骨無形成症を持って生まれました。 娘の事を中心にしたブログがありますが、そちらでは書く予定のない事を。 自分の事や考えについて。noteの存在を知り、書いてみようと思いました。

妻と娘と3人家族。娘は2018年に軟骨無形成症を持って生まれました。 娘の事を中心にしたブログがありますが、そちらでは書く予定のない事を。 自分の事や考えについて。noteの存在を知り、書いてみようと思いました。

マガジン

  • 『真☆僧侶伝 TAKE 』

    総合的に包括的に全方位的にすみません…‼(謝)

最近の記事

はなれる

手が離れていく。 子供も、長く連れ添ったひとも。 長い月日が流れて、張っていた気がとけて、 少しずつ遠い場所へ。 熱心だったあれやこれ。 穏やかな、凪いでいく思い出、鼓動に。 いつか帰る、子供のようなこころへ。 顔を見て笑う。 やがて出会う、同じ場所へ。

    • 中身

      容れ物をよく見る。 サイズ別の袋や箱、瓶やプラスチック容器… 店では自然に「いい感じの容れ物」を探し、既にある無数のそれらを買っていく。 容れ物で散らかる。器が小さいというか器だらけの人間だ。 色々・細々・雑多が「分類され見やすく取りやすく戻しやすい」イメージでは描けているはずの世界を夢見て果たせない。 妻は、いらない物があったらすててね、と言う。 うん、今はあれだけどいつか使うかもだから…。 小さな貝や石、壊れた部品・歯車やネジや金属。 同じ用途の幾つもの文具、沢山

      • 三日坊主

        さあやろうと始めて本当に三日で終わったこと。 昔 禁煙するたびに、三日後には火をつけて余計に味わい深くなってしまう時期はあったし、今でもさあ減量だと菓子を禁じた三日後には柿ピーを食べている。禁ずるものは三日坊主になりやすい。 けれど煙草はやめて十年にはなる。 2011年あたりだとすると、最後の一本を吸ったのは多分、2011年の2月22日20時11分2秒とかだろう。 20110222201102 シンメトリーを狙って、なかなかこんな並びはないぞと感じるポイントを封印の刻

        • フンっ だ。

          草に隠れて、何かしらの動物のふんがあった。 鳥ではない。 柵があるのにどこから入ったのか。 「なんでしょう?」 「なんでしょうね、イタチではないですね」 イタチではないのか。 「川から上がって…?ヌートリアとか」 「ええ?いやあ…」 「まあイノシシじゃなければ」と自分でもテキトーだなと思いつつ言いながら、しばらく真剣に考える。柵…川…それとも こ こ に 住 ん で い る 。 コロコロとしたひとかたまり、その先に、踏みつぶされたひとかたまり。踏んだのは多分ヒトだ。 (誰か

        マガジン

        • 『真☆僧侶伝 TAKE 』
          0本

        記事

          波打ち際に

          波と音が打ち寄せ沖へと引いていく。 ターミナルケア。終末期医療。 小さくなっていく波。 ターミナルを調べると、「路線の終着駅や発着するところ」 「電子回路の入出力」「物が集まり貯められ運ばれる拠点」とも。 小さな白い巻き貝を親指の腹で擦ってざりっと固い。重さは感じず乾いてる。留守になった殻。 軽く握ると、こぶしの中があたたかい。 おみとりは見守ること、見届けること。終着へ…出発を…どちらでもあるのなら。そこへと向かう背中を見送ることもできれば、迎え入れることもできるん

          波打ち際に

          ほっぺにチュー

          昨日の夜、初めて娘からほっぺにチューをされた。しかも、何回も。 私もギュー、はするけれど、チューは初めてのことだった。 年上のお友達たちと遊んだその一日の、おやすみ前の時間。布団に寝そべりながら、撮った写真を一緒に見ていた。 友達と走ったり手をつないだり小川で遊ぶ様子。楽しそうに嬉しそうに、笑ったりごろごろしながら見終わって、「もう一回見る!」と。 二巡目を見ている時に、娘がこちらを向き、顔を近づけてきた。時々するように耳元で何かを囁くのかなと思い、娘の唇が私の頬に触れ

          ほっぺにチュー

          娘のトライデント・ハンドが私の雲を貫通した日

          娘を見て腹の底から笑ったことがある。 二歳三か月の娘と二年三ヶ月の付き合いの中で訪れたその笑いと、私の天気と娘の手のことについて。 ***** 三月のと或る日。 妻は朝から仕事に出、私と娘は家にいた。昼食から昼寝を無事に終え、一緒に遊ぶ穏やかな午後に・・・・二歳の娘はついに思い出した。 「ママ」 たった二文字で表せる、娘にとって最愛最強・全てが詰まった一語、「ママ」 先日二語文「ママ・どーじょ」を繰り出したものの目下主流は一語で、ママ、パパ、これ、が発語の八割(

          娘のトライデント・ハンドが私の雲を貫通した日

          父として。モンゴルマンと拳骨。

          子供の頃、授業参観日に父が来てくれた事があった。 国語の時間だったか、道徳だったか。その日、私 ─── 小学校低学年の少年が、お行儀よくしていたならこの思い出は無い。 教科書に落書きをした。当時『キン肉マン』にはまっていた私は、挿絵に大きく描かれた人物の顔にモンゴルマンの柄を描き込んだ。衣装を変え道具を持たせ ─── 友達のNくんとふざけていた。彼も自分の教科書に落書きし、見せ合いっこしてくすくす笑っていた記憶がうっすらと有る。 はしゃいでいたのかもしれない。父親の見て

          父として。モンゴルマンと拳骨。

          七夕、星の導き

          不思議だなあと。 今日は休日で妻と娘(1歳4か月)の3人で買い物に。 途中私だけ単独別行動、100円ショップで物色していた時に目に留まった星のステッカー。「蓄光して暗闇で発光する」と書いてある。こっそり購入。 娘と妻は寝室では大きなテント型の蚊帳の中で眠っているのだけれど、そのテントの天頂付近に貼り渡そうとイメージを描いて。 帰宅して夕食迄一休み・・・眠っていた。起きて洗面台に行くと…そのステッカーが洗ってある。 (あれ?) なんでだ。買ってきた事は言ってないし…

          七夕、星の導き

          ほぼ日と私と妻と任天堂と。

          糸井重里さん率いる「ほぼ日」が21周年を迎え、今日、Twitterでお祝いのコメントが流れてくるのを眺めながら… Twitterで存在を知った note。さっき登録して今書いている。いつか始めてみたいとぼんやり思っていたけれど、今回いいタイミングの様な気がして。 私は現在、ほぼ毎日ほぼ日を覗き、「今日のダーリン」という「糸井さんが毎日書くエッセイのようなもの」を読んでいます。 それは、いつから?2015年の7月。なぜ?それは「気になっていたから」としか言えないのですが…

          ほぼ日と私と妻と任天堂と。