🅂９ 働いた後のビールはうまい！

「A little dough」 第４章　支出して生活する　🅂9（支出行動と報酬系回路）

　前回は私たちの脳のはたらきである「報酬系回路」について確認しました。脳の進化的な働きを考えると、私たちが誘惑をこらえきれず衝動的に行動してしまうのは、この報酬（快感）経験が大きく関与しているというのがわかります。狩猟・採集といった日々の生活の糧を得ることが最優先の時代であれば、とにかく今食べておくことが明日の生存に繋がるわけですから、こうした脳のはたらきが生存や種の保存に大きな貢献をしたのもうなずけます。そしてそれは今でも私たちの心を、衝動に駆り立てる重要な役割を果たしてくれている…ということのようなのです。

➤働いた後のビールはうまい！
　ところで、もう一度報酬系回路の「報酬」の特徴を整理してみます。
（１）生命の維持や種の保存を目的とした人間の本能的な行動に報酬（快感や満足感）を与える。
（２）報酬だけを望む行動を頻繁に繰り返すと、同程度の報酬では体感しにくくなり、更に強い刺激を求め続け嗜癖や依存を生む原因となる。
（３）体験した行動と報酬は結び付けられ、新たに行動予測することでも報酬を得られるようになる。
（４）さらに予測した報酬と実際の誤差を認知し、過大であれば大きく過少であれば小さく報酬を調整する（意外性に反応する）。

（３）までは前回紹介した「脳科学辞典」に書かれていたことですが、報酬系回路のはたらきとして、もう一つ「報酬予測」という機能があげられています。わかりやすい例をあげると「働いた後のビールはうまい」というものです。詳しくは下記玉川大学脳科学研究所のリンクを参照していただきたいのですが、簡単に言うと「仕事の後のビール」は単なる「ビール」よりコストが高いために予測時点の価値が低く見積もられてしまうということのようです。仕事をコストと考えるため、単にビールを飲む行為より報酬の総和を低く予測してしまうらしいのです。結果としてビールを飲んだ時の報酬は同じでも、予測誤差の大きい「仕事のあとのビール」の方が美味しく感じられる、という相対的な人間の感覚に依拠するものです。これを上記4番目に記載しました。

世界初！「働いた後のビールはうまい」脳内メカニズムを発見！－報酬を得るための努力がその報酬の価値を上げる脳メカニズム－

　私たちは日常的な「衣食住」を満たすために「金銭的支出」という代替行動でも報酬（満足感）を得ているわけですが、衣食住以外の目的であっても、例えば気分転換の為に衝動的な「金銭的支出」を行うと、予想以上の満足感を得られることがあります。
　これは上記（４）に記載したようにそもそも予定していない行動によって生まれた「意外性」によって報酬誤差が過大であるために起こるものと考えられます。言ってみれば予期せぬ「サプライズ」の結果なのです。私たちが衝動的な行動をついしてしまう理由には、こうした意外性が報酬を増加させるというところにも原因があるようです。
　また（３）によればこうした体験は更に同じような体験を予測することに繋がっていきます。ただ衝動的な行動を予測してしまうと、当たり前ですが意外性は殆ど残っていませんから、望んだような報酬は得られずむしろがっかりしてしまうことの方が多いはずです。純粋に「衝動買い」で大きな快感を得るのは、それなりにハードルが高いと肝に銘じましょう(^^;。
　しかし衝動買いによって経験した強い快感は、おそらく私たちの脳裏に深く刻まれてしまいます。特にストレスなどの要因で心が不安定な時に生まれる「衝動」は、過去の強い快感を予測しこれを求めて不安定な心を支配してしまいます。こうなると「衝動買い」は実行されてしまいますが、前述したように、高い報酬予測はプラスの予測誤差を生じ難くしますから、目的の「サプライズ」は達成しにくいということになります。こうして「衝動買い」は、私たちに多くの後悔を残してくれることになります。

➤衝動に対峙するには…
　衝動とは「人が突発的な欲求や行動引き起こす心の状態」をいうようですが、あまり良い点が見当たりません。もちろん「サプライズ」は魅力的ですし、衝動が生み出す創造性や新規性といったものもあるようには思います。しかし多くの場合は、計画やリスクを無視して一時的な快楽や満足感を得たとしても、のちのち後悔することが多いと感じてしまいます。
　こうした経験は私たちに「自制心」を植え付け、衝動に突き動かされそうになると、私たちはこれを前面に出して抗おうとします。
　「自制」とは、衝動に対して意識的に抵抗し、適切な選択をさせようとする行為ですが、これには🅂8で記載した「報酬系回路」の一部（腹側被蓋野➡前頭前野）と「罰系回路」というものが関係しているようです。罰系回路とは「前頭前野や辺縁系などの脳の領域で構成されており、不快感や罪悪感、また懲罰の処理や社会規範に基づいた行動の制御に関与する」というものです。つまり「快感」の代わりに「不快感」を感じることでそうした行動を抑制させるように働くというものです。罰系回路がセレトニンやノルアドレナリンなどの脳内伝達物質で活性化すると、不快な結果や罰則を回避するための抑制的な行動を促すといわれています。

　私たちの心の中で生じる「衝動」は、生物学的に見れば一定の必然性があることになります。しかし一方で、その衝動を抑制する働きもまた、報酬系回路における制御回路や、これとは別の罰系回路という形で用意されています。私たちが幸か不幸か「衝動」のなすがままにはなっていない理由は、こうした脳内回路の連携プレーが思考や判断のバランスをとっているからといえそうです。
　例えば、「汗水流して一日の仕事を終えたあとで、よく冷えた一杯のビールを飲む」といった私たちの毎日の行動も、考えてみると「賢い報酬系回路の使い方」という気がしてきます…。