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私が今まで自分の性格であり人生だと思っていたものは、どうやら病気であったらしい
少し前に映像学校の講評があった。
映像の制作、パフォーマンス、現場での記録撮影をほぼ1人で行い、へとへとになった。
講評や展示の前後はいつも感受性が高まって気持ちが乱れるものの、その時は激しい気分の落ち込みが3日3晩続き、流石にこれでは日常生活に支障が出るということでメンタルクリニックに行った。
30分ほど医者と話した後、「パニック障害」「気分変調性障害」「少し適応障害」と診断を受けた。
私は「まあ気分の落ち込みぐらい誰にでもありますよ〜」と適当に薬を渡されて帰されるのだろうとばかり思っていたので、まさか立派な病名がついて通院が必要になるなんて思ってもみなかった。
過去に、もっと苦しい死の瀬戸際を自力で乗り越えてきた自負があるために、それより遥かに楽に生きている今治療が必要だとは思わなかった。
ちなみに私が診断された気分変調症とは以下のような精神疾患であるらしい。
持続性抑うつ障害(気分変調症)
うつ気分が長期間にわたって続いてしまう疾患のことと言えます。
現在の分類であるDSM−5では、持続性抑うつ障害と呼ばれるようになりましたが、過去の分類では気分変調症と呼ばれていたものに相当するでしょう。
どのような症状がみられる?
・うつ気分
うつうつとした気分がほとんど一日中続きます。
そして、このような気分がある日の方がない日よりも多く、しかもこのような状態が2年以上にわたって続くとされます。
子供や青年では、怒りっぽい気分のこともあり、それが1年以上は続くと言われています。
これら気分の症状に加え、下記のような症状のうちいくつかを伴います。
・食欲の低下、逆に増加
・眠れない、逆に寝すぎてしまう
・気力が低下する、または疲れやすい
・自尊心が低下する
・集中力がない、決断できない
・絶望感
この慢性的に症状が続いている期間の前に、うつ病レベルの症状を認めることがあります。
これらの症状が長く続くことにより、日常生活や職業生活などで大きな支障が出てきます。
注意が必要なのは、持続性抑うつ障害(気分変調症)はうつ病の症状が軽いものなんだという誤解です。
うつ病では、その瞬間だけ見れば家から出られず食事もとれず痩せていくという強い症状がみられますので、なんとか食事をとれる持続性抑うつ障害(気分変調症)の方が症状は軽く見えます。
しかし、実際の生活では持続性抑うつ障害(気分変調症)の方が障害度が高い、つまり対人関係が難しく、健康状態も悪く、社会機能や職業機能も悪いというデータがあります。
症状そのものよりも、生きていく機能に大きな支障をきたしてしまうと言えるでしょう。
さらに、うつ病のようにいつから調子が悪くなったという感じではなく、典型的には思春期前後に気づいたら悪くなっていてそれが続いている、というような経過をたどります。
そして、自分に自信がなく不適切だと感じる傾向、悲観主義で絶望的に捉える傾向、全般的な面へ興味や喜びを感じられない傾向、引きこもり傾向、慢性的な疲労感、罪悪感やくよくよ考える傾向、イライラしたり過度に怒りっぽい傾向、活動性の低下、集中力の低下、のような特徴のいくつかをみられる場合もあります。
【 症状 】
もしも、あなたがほとんど毎日、下に挙げたように感じているのであれば、気分変調性障害の可能性があります。
・自分は人間としてどこか欠けていると思う。
・ほかの人は苦しいことにもしっかり耐えているのに、自分は弱い人間だと思う。
・自分は何をやってもうまくいかない。
・自分は何か、なすべき努力を怠っているような気がする。
・人が「本当の自分」を知ってしまったら、きっと嫌いになるだろう。
・「○○したい」と言うのは、わがままなことだと思う。
・自分が何かを言って波風を立てるくらいなら、我慢した方がずっとましだ。
・自分の人生がうまくいかないのおは、自分が今までちゃんと生きてこなかったからだ。
・人生は苦しい試練の連続であり、それを楽しめるとはとても思えない。
・これから先の人生に希望があるとは思えない。
これらの感じ方はいずれも「気分変調性障害」という「病気」の症状として現れてくるものですが、自分の性格だと思っている方がとても多いです。また、気分変調性障害の人は対人関係も苦手なため、対人関係を避け、引きこもる傾向にあります。そして、若くして発症するため、対人関係の絶対量が少なくなってしまいます。すると、対人関係の試行錯誤をする機会も奪われてしまいますので、さらに対人関係能力が低下する、という悪循環に陥ってしまいます。
また、とにかく物事を自分にとってネガティブ(自分をいじめるような形)にとらえるため、それだけストレスも蓄積しやすく、約80%の人がうつ病を経験したことがあるという報告もあります。その状態を専門的には二重うつ病と言います。
上記の文章を読んだ時
「え…これって普通じゃないの?」
「というかみんなはそう思ってないの???」
と驚いた。
絶望うんぬんのくだりに関しても
「人生ってそういうものでは…?」
と思った。
それ言い始めると、私の読んでる哲学書の著者って、哲学学ぼうとしてる人って、みんなこの病気なんじゃない?と思った。
確かに言われてみれば周りに比べて私はやけにハードモードな人生を送っているような気が薄々していた。それはどうやら私の認知が歪んでいたせいらしい。
その解消法を哲学や美術に求めて右往左往していた私の10年はとても遠回りだったのではないか。まあ無駄だったとは全く思わないけど。
緊張のあまり連絡が返せなくなることも、急に身体が動かなくなって一切の家事ができなくなることも、何度も何度も辛い記憶が蘇ることも、うまく言葉が出なくなることも、急に躁っぽくなるところも、あの人たちとの軋轢も、たくさんの罵倒や誹りを受けたことも、生きづらさも、だいたいが病気のせいであったらしい。
また一方で、病気でなかったら、私は美大に入り直すことも作品を作り続けることもできなかったであろうし、そもそもその必要性を感じていなかっただろうなと思う。
これまで、「人生とは」とか「私とは」とか、そういう主語をでっかくして10年以上くよくよ考えてきた困難が、脳が起こす生理学的異常のせいだったと思うと力が抜ける。
ちなみに、上記の病状に記載があるように、気分変調症は対人関係に支障が生じるらしい。
私は思春期の頃は誰とも話せなかったが、その後並々ならぬ努力を対人関係において発揮した結果、現在はそれなりに誰とでも喋れるようになっている。
その部分は医者にも褒められた。
「考えなくてもできる人と、考えないとできない人がいて、後者の方が、すごく強みになりますよ」
と言ってもらえた。
親との絶縁を乗り越えて今良好な関係性が築けていることも、人生の選択を切り開いてきたことも、「すごく強いですね」と褒めてもらえて嬉しかった。
***
たしかに私は今まで壊れたまま生きてきたかもしれない。しかし、私が今までに出会ってきた人々も皆どこかしら壊れていた。
乱暴な言い方が許されるなら、美大に通っている人は、表現をしたいなどと思う人間は、みんな何かしら病気か障害を抱えているのではないか。
いや、本当のことを言えばこの世界に生きている人間は皆どこかしら壊れている。美術に関わる人はその壊れている部分を表に出しやすいだけだと思う。
たくさんの狂気を持つのが普通の人で、一つの研ぎ澄まされた狂気を持つのが狂人なのだと何かの精神医学の本で昔読んだ。
病名がついてしまったことは悪いことばかりではないと思う。
最近の私は美術界のマチズモに毒されていて、弱い人への思いやりや配慮が足りていなかった気がする。
他者の弱さも自分の弱さも許すことができなかった。
今診断を受けて改めて弱者としての烙印を授けられたことで、またあらゆる種類の弱さに寄り添い寛容になることができるのではないかという甘い期待を抱いている。
弱いからこそできることや分かることがきっとあるはず。
そして私が本来入学前に求めていた美術は、弱者を置き去りにするものではなく、弱い立場の人々に寄り添い勇気づけるためのものであったはずだ。
人間が規格化され標準化された世界を助長するためのもののではなく、そんな世界に疑問を投げかけるための領域だったはずだ。
どうせ人間は皆壊れているのだから、その壊れている部分をひそやかに癒す手段として、美術が存在するとも言えるのではないか。
あまりにも理想主義的すぎるだろうか。でもその甘い理想主義を持ったまま生きることが許される世界であってほしいと願う。
とりあえず、治療して、元気にハッピーに生きていけるようになりたい。なります。