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さまよえる喫茶店(上演のお知らせと、製作日記的なことなど)

年明けに上演する舞台の準備を進めています。

9月の京都公演のあとくらいからとりかかり始めた舞台作品。
今年2月の「青い鳥」を一緒にやった仲間たちと、セリフのあるお芝居を舞台でやってみたいねーと言っていたのがようやく実現しそうです。
寒い日が続きますが、よろしければぜひご覧ください。

架空の喫茶店を舞台に、会話劇、ダンス、音楽、映像がおりまざった、
日常と非日常、具象と抽象、コミュニケーションのスキマをめぐる少しヘンテコな実験的パフォーマンス。

出演
てらにしあい 
松本 沙帆 
髙木 理恵 
真野 明日人 
演奏・音楽 杉村 玲子 
企画 kinomalabo 

2022年1月9日(日) 17:00~ ※16:30開場・受付開始
入場料1500円 
限定30席 予約優先 こちらの →ご予約フォーム でご予約いただけます。
メールで ask@kinomalabo.com に お名前、人数、連絡先(メールまたは電話番号)をお知らせいただいても結構です。入場料は当日受付でお支払いください。

お問い合わせ kinomalabo 
TEL 052-831-0324 ask@kinomalabo.com
会場 Enne_nittouren 〈えんね にっとうれん〉→Webサイト
〒461-0002 名古屋市東区代官町26-20 日陶連原料ビル1F
名古屋市営地下鉄 車道駅より徒歩10分 新栄駅より徒歩12分


セリフ芝居ってどんなのがやりたいかなあ、とみんなで話していて、ベケットやりたいとか、「少し変わった子あります」という小説を題材にしたいとか、夢の遊眠社みたいなのやりたいとか、いろんな意見が出てきました。

とりあえず、設定をどこかのちょっとさびれたカフェにしよう、ということだけ決めて、その中に劇中劇みたいな形でベケットを取り入れたり、音楽をアコーディオンの生演奏にしたり、プロジェクタを使ってVRやら影絵やらミニチュアの劇場やらを見せたり。

どこかのさびれたカフェという設定は、私が10年ほど前に作った「ハリネズミのワルツ」という作品のリメイク的な発想から。その時の文章はこんな感じでした。

どこの国なのかわからないけれど、
坂道の途中の狭い路地裏にある1軒のカフェが舞台。
登場人物は、退屈な店員と、平凡な旅人。
いわゆる「普通の社会」からすこしずれてしまった所にいて、
それぞれの事情や環境の中で、迷い、悩みながら生活している。
たまたま場所と時間が一致して、このカフェにやってくる。
その場所、その時間を共有したことにより、
それぞれが何かを得て、また次の場所へ移っていく、束の間の出来事。


「さまよえる喫茶店」は、誰が脚本を書いて演出をするかということすら決めずに作り始めたので、みんなめいめいに構成を考えたり台本書いてみたりしながら、それを試しに演じてみてやっぱりこれはちょっと使えないかなあとか、ここの部分のこのテーマはネタとして取り入れてみたいね、とか言いながら作っています。
そんな感じなので台本もなかなか出来上がらなくて、やっと先週くらいで大まかにはできてきたけど、実はまだまだ完成していない部分も。

そして作品を作っていく過程で出てきたいろんな会話がそのまま台本に使われていて、これは一体お芝居なのか現実なのか、即興なのかどうか、とか、演じている方もいろいろ混乱しながらなんとなく進んでいく、みたいなものになってきています。結局は真野くんが台本を全部まとめてくれているのだけど、一応当て書き(その役を演じる人をあらかじめ決めておいてから脚本を書くこと)で書いた役柄を取っ替えてみたら意外にハマったのでじゃあそれでいこう、ということになったりとか。

劇中の会話の中で、「普通って何?」みたいなテーマも出てくるけど、この作品の作り方に関しては全然普通じゃない感じ。じゃあ普通の作り方って何?と言われるとよくわかんないけど(笑)。

まだ決まっていないシーンで、VRの中のカフェというシーンがある。真野くんがUnityで作ってきたバーチャルカフェは、一歩外へ出るとだだっ広い砂漠のみが広がっていて、なんだか途方もない気持ちになる。これは劇中劇のベケットのお芝居とリンクしているから砂漠になっているのだけど。バーチャルだから途方もない気持ちになるのか、現実世界でのふとした時に感じる諦めや孤独なんかによって生じる途方もない気持ちみたいなものが、パッと目に入ってきた光景によって浮かび上がってくるのか。
そしてバーチャルカフェにある冷蔵庫は、現実の世界へと繋がっている。この辺の面白さをなんとかうまく表現できたらいいなあと思っているところ。

最初は、ベケットって今時そのままやってみて面白いの?というところから始まったのだけど、それを劇中劇で取り入れちゃうところとか、どれが現実の会話でどこからが脚本なのか分からなくなってきちゃうようなところとか、VRを利用した途方もない気持ちの表現とか(これはまだどう実現するのか未定だけど)、結果的にはものすごくベケット的な作品になっているのではないか!?と、昨日のリハを終えてなんとなく思ったところです。






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