かかとの骨がバッキバキになった話


「私はダメなんかじゃない!」

と叫んで私は彼氏んちの窓から飛び降りた。

いやダメである。完全にダメである。

2005年私の精神は混迷を極めていた。22歳夏。
お約束のように手首はズタズタである。傷を増やさないように同じ場所を切っていて精神科医から「焼畑農業」と言われていた。意味がいまいちよくわからない。本当にわからないな、何だそれ。

大学進学と同時にメンタルがアレになり、眠れない夜が続き、ある時丸3日間完全に覚醒していた。

するとどうだろう。何をしていてもどこにいても、となりのトトロのオルゴール音がするのである。

「となりのトットロトットーロ!」(オルゴールで)

この時私は「隣人は常時爆音でオルゴールを聴くという荒技を使う」と思っていた。

精神科医は言った。
「それ幻聴や」
おーっと!

隣人が若干おかしな人なのかと疑っていたが俺様がクレイジーなだけだった。

今でも私はうっすらトトロが苦手だ。

こうして不眠を極めてなだれ込んだ精神科から私の長きに渡るメンヘラ道が始まった。

家庭環境が困った感じなおかげで我が精神は散々な事になっていたらしく、ただちに不眠症、強迫神経症、うつ病という3本立てのお墨付きを得て休学。
しかしながら休めばいいのにクソ真面目な私は何故か「働かなくては!」と意気込み老舗手ぬぐい屋でフルタイムバイトを始めてしまう。本当に何故。

バイトはキツかった。拒食症なのに立ち仕事力仕事。無茶である。バイト帰りにふれあいタウン新京極で引っかけられ彼氏ができるなどしたものの、バイトのストレスにより私は加速していくのだった。

2005年10月、運命のその日、私は彼氏の家でアニメ『NHKにようこそ』を観ていた。
このアニメの主人公は引きこもりであり、社会性が乏しく、対人関係ももちろんうまく築けない。人生の最後の一手としてヒロインが登場する。

その惨めさ、自分にオーバーラップしてしまうその惨めさよ。
これって私か?私の話か?おーう。

私はここで発狂してしまう。

「私は(こんなに)ダメじゃない!」と。

そして私は迷惑にも真夜中に理解のある彼氏君の部屋(三階)の窓から飛び降りたのである。

何故そんな事(飛び降り)をしたのか、実は今でもさっぱりわからん。ユーキャンフライ?イエース!アイキャンフライ。

精神科医「躁ですね〜」
おーっと!

新たな病名を布陣に加えながら、私は『右踵複雑骨折』で病院に叩き込まれた。骨折は非常に痛かった。人生で痛かった体験第三位に食い込む(一位は出産)。

整形外科に入院したものの自殺を危惧されVIPな個室に監禁されたまま二ヶ月を過ごす(病院に落ち度は全くもって無いが辛かった)。

話はそれるが躁患者なら誰しもが経験すると思うのだが、「躁ですね」「そうなんですか」のやりとりは何回しても「フフ」ってなっちゃうな。

さて、私の右かかとには手術によって何本もの釘がぶちこまれた。思わず写真を撮って携帯の待ち受けにした。この釘、割と自分で動かすことができて「こえーよ」と思っていた。
手術は下半身麻酔で、ヘッドホンで音楽を聴きながら施術された。音楽の選択肢は本当によくわからないがジュディマリか北島三郎のみ。私はジュディマリを選ばせて頂いたが今でもうっすらジュディマリが苦手だ。

退院後も私のかかとの治療は続き、右足に歩行補助器具をつけて歩いた。形容が難しいのだが近代的なデザインの装具で歩くとギャショーンギャショーンと音がする。往来で注目の的となって私は少し嬉しかったのだが知人友人は私と歩くのをだいぶ嫌がった。

理解のある彼氏君の事だが、私達は同棲を開始した。これだけのことがあって別れないんだね凄いね。
何故なら彼は強烈なメンヘラ好きだったのである。
わあウィンウィン!
しかしながら自分の下宿から飛び降りた女を介抱し救急車を呼び面会に通い同棲をするというこの彼氏君、いい奴である。懐が深い。実はこの彼氏君は現在の夫氏である。

2006年2月釘の抜去後、数々のリハビリをブッチしながら何とか普通に歩けるようになった。かかとに「何か刺さってましたね」という痕跡を抱えたまま。

この体験による気付きや教訓などは全くない。
私はアホだなあ、本当にアッホだなあで終わる。
沢山人に迷惑をかけて面倒をみてもらった。
しかしながら私は「私は一人じゃないんだ!」とか「何とか立ち上がるのだ」とか思わなかった。クソである。
ボーッと生きていた。何だか体も心もズタボロでそれでも生きているのが不思議であった。パソコンでいうと『読み込み中』というメッセージが四六時中出ている状態である。容量が致命的に不足していた。当時の日記帳には「限界☆」と書かれている。ティンカーベルの可愛いピンクの手帳であるが、ティンカーベルも大変嫌だったであろう。

私はこの後彼氏君が上京するというので大学を退学しフラフラと東京に行くことになる。高卒メンヘラニート爆誕である。未来がないにも程ってもんがある。

精神はさらにクロックアップし、月並みだがOD、自傷を繰り返す腐臭漂うドス黒い人生を歩んでいく。お決まりのようにこの先アル中になるし3回精神病棟に入院する。ある意味道を踏み外していない。惚れ惚れするほど定石だ。

でも実は何だか今現在私はとっても幸せに暮らしているのだ。
「おーっと!躁転?」
違う。多分。

ここに至るまでの話もそのうち書けたらなと思う。

私のアッホな話で楽しんでもらえたらなあ(無理か?)と思うのと、今苦しんでいる方が同じようにのたうち回って苦しんでそれでも幸せになった私の話でもしかしたら気が楽になってくださったら嬉しいからだ。

私は41歳精神疾患持ちの主婦アーコと申します。

なんとか生きていますが私の右かかとはバッキバキでした。

読んでくださってありがとう。それではまた。



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