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20240521日記(学園アイドルマスターの第一印象/初星学園は何を参照しているのか)

明日から1stイベントが始まっちゃうから、その前にファーストインプレッションを書いておこうということで急ぎます。だから学園アイドルマスターの設定の説明とかは端折るね。あんまり寄り道しないようにします。いま21時だから22時目標。

アイドルマスターと僕/画質と3Dモデルの話

というわけでとりあえず自分の話をするね。

僕は07年に上京したのだけど、上京当初入居した寮の規則で私物の持ち込みが事前に支給された段ボール2箱に制限されていた。だから趣味のものについてはほとんど全てその時に処分してしまった。

本の1冊すら持ってこなかったのに、それでも持ってきた数少ない趣味のものがXBOX360とEIZOの液晶モニターだった。当時の僕はキャラクターコンテンツの映像の画質と3Dキャラモデルへの興味を強く持っていた時期だった。

XBOX360をD-sub端子でPCモニタに繋いで見る「GO MY WAY!!」アイドルマスターのプロモーションビデオは、僕にアクセスできるこの世でいちばん画質の良い3Dキャラクターのライブ映像で、ゲームを実際にプレイした時間よりもライブ映像を見ていた時間のほうが何倍も長かったと思う。なんにもない部屋で、冗談抜きでアイマスだけに支えられていた時期があった。半年くらい。貯金も10万くらいしかなかったので、週に1回友達とスタジオ入ってドラム叩いてくるのと月に1個まともな調理器具を買う趣味以外で一切遊興費を使っていなかったし、起動すればライブ見れるアイマスは本当に救いだった。

 07年はまだスマホやPCでインターネット越しに高画質な動画を見られる時代ではなかったけど(Stage6の話は今度にしましょう)、03年に始まった地上デジタル放送と、家庭用ゲーム機のコンポジット端子以外での接続が浸透しつつあり、PCゲームの特権だった高画質なデジタルコンテンツがテレビアニメとコンシューマゲームでも一般的になりはじめた頃だった。

3Dモデルについても似たような流れがあって、07年1月に発売した『シャイニング・フォース イクサ』(PS2)の3Dモデルは、当時すでにPCゲーム仕事での評判が高く(なんだったかは忘れてしまった)、現在も『あんさんぶるスターズ!!Music』などの3Dモデル製作を行なっている会社「FlightUNIT」が担当していたのだけど、イクサはFlightUNITの初めてコンシューマゲーム仕事だった。PCゲームで培われた2次元キャラクターを3D表現する手法がコンシューマゲームにも降りてきて、pakoさんのキャラクターデザインが3Dで忠実(当時の感覚)に表現されていることに僕はかなり感動していた。

XBOX360版『アイドルマスター』も、同じく07年1月に発売したゲームだった。アーケード版はたまたま近所のゲームセンターにあって自分でも遊んでいたけど(おおむね律子)誰かがプレイしている時でもタワー筐体で映像が見れるのが楽しかった。タワー筐体の前に1日中いる人間が全国で発生してかなり問題になっていた。

アーケード版のアイドルマスターはいま思うとちょっとチープで見る側に見立ての心が必要とされていて、当時は当時の感動があったけど、それは3Dキャラモデルを実像として見ているわけではなかった気がする。

でもXBOX360版のブラッシュアップされた3Dモデルと高画質な映像出力は違った。アニメを見たりマンガを読んでいる時に、これは絵だよなといちいち思わないのと同じように、これはポリゴンだよなという感覚から抜け出したライブ映像を初めて見た気がした。これからはこれがスタンダードになるんだ!という喜びがあった。

この時が僕のアイマスに対する興味のピークで、MAD動画文化、アイマスDS、テレビアニメ版、シンデレラガールズの初期くらいまでは追ってたけど、2012年の生っすかSPECIALのイベントに参加したのを最後に、今はほとんど追っておらず、モバマスのフレンドから送られくるカムバックURLを踏む以外の接点が消滅したまま10年以上が経っていた。

書いてて思い出したけど星井美希SHOWROOM配信は見たんだった。美希に対してP自認がなくてふつうにファンなので、ファンのロールをする気持ちに即なれて楽しかったしびっくりするくらい感動した。「GO MY WAY!!」を通して765プロのアイドルってこの世に居るんだと思わせてくれた美希に、再び美希ってこの世に居るんだと思わせてもらう機会があるの嬉しかったな。

蛇足だけどなんで2012年に離脱しているのか考えたら、プリティーリズムとプリパラに3Dモデルへの興味を持ってかれたのが理由のひとつかも。
ラブライブは「夏色えがおで1, 2, Jump!」まではCD買ってたしSnow halationのMVはめっちゃ見てた記憶はあるけど、キャストによるライブに興味がないからなんか上手く追えなかった。アニメを見る習慣がないので、めちゃモテ委員長などの省力の為の3Dアニメの文脈以外であんまり自発的にアニメコンテンツ追えないんだよなー。プリキュアはある時期まではEDダンス目当てで視聴してたような気がする。

『学園アイドルマスター』を始めた理由

ということで『学園アイドルマスター』は10年以上ぶりにアイドルマスターにちゃんと触れる機会になりました。ちなみにモバマスのカムバックURLを送ってきていたフレンドがX(Formerly known as Twitter)に貼った招待URLから始めた。こういうのは縁と勢い。

なんでプレイしようと思ったのかというと、いまどき3Dモデルのポリゴン数を売りにしてることに面白くなってしまったのと、ライブとゲームが切り離されてて音ゲーじゃなかったから。お話とゲームを通じた体験には興味あるけど、ゲームの習熟には全く興味がないので、ソシャゲで音ゲーをやりたいと思ったことが一度もないです。だから音ゲーじゃないアイマスならやりたかった。

あとは事前キャンペーンでSRの絵柄を目にしたのが導線になった部分もあるかな。

▲リリース直前ガシャキャンペーンのサイトより。
▲『学園アイドルマスター』ホーム画面

頭頂部が見えてるからか3Dモデルのほうがなんか丸顔に感じて、思ってたのとちょっと違うな…‥となったのも、アー写見て会いに行ってみたら微妙に印象が違うというアイドルヲタクの体験っぽくって面白かった。

まあそんなわけで、特に大きな理由はないのかもしれない。始めることに理由ってなくてもよくない?

何を参照しているか

アイドルという言葉が表すものは時代によって変遷しているから、アイドルマスターシリーズが表現するアイドル像も当然変化している。

765プロが「普通の女の子からプロのアーティストへと成長していく私」であるモーニング娘。を参照していたことや、シンデレラガールズが「ファンに支えられて夢を目指す私」というAKB48のイメージを参照していたと同様に、初星学園に通う『学園アイドルマスター』のアイドルたちにも参照しているものがあると数日遊んだ印象では感じた。

それは「セルフイメージと求められている姿の一致をはかり、ファンダムの承認をうける私」という、儒教の国韓国から日本に逆輸入されたアイドルの在り方です。

韓流アイドルはなりたい私、ロールモデルを具体的なアーティスト名を挙げて表明するのが一般的で、自己像を表明する16Personalities(MBTIと呼称されがちなやつ)の流行なんかもその流れに沿って日本に輸入されたものです。

▲右上の審査基準に注目

『学園アイドルマスター』には、過去のアイドルマスターシリーズと同じく3つのパラメータ、ボーカル、ダンス、ビジュアルがゲーム上設定されています。

キャラごとの育成方針は右上に示された審査基準に沿って行なっていくのが好成績を収める為には効率的になっていて、サービス開始直後で指針に逆らえるリソースを持たない僕らは、この指針に従っていずれかのパラメータを一切育成せずに切ることになります。

レッスンスケジュールを立て、1つないし2つのパラメータを育成せずに切るというゲーム体験としてのプロデュースと、ファンダムに奉仕する存在としてアイドルに何を諦めさせさせるかというシナリオ上のプロデュースが一致しているのがこのゲームの特徴だと今のところ感じています。Lv15になって山札圧縮をできるようになった時、学園生活を通じて得た選択肢すら捨てさせるんだなこのプロデューサー(俺)はと思った。

たとえばさっきから画像を貼っている倉本千奈、彼女は体格にも恵まれていないし歌も上手いわけではなく、実家が太いことだけが長所とされている。ダンスのパラメータが高いのはダンスが上手いからではなく、育ちの良さからくる洗練された所作を、彼女の魅力であるとファンが認識しているからである。ビジュアルがちょっと高いのは、歯の矯正とかとっくに終わらせてるし皮膚トラブルは即皮膚科に行ってるし髪も頻繁にメンテしてるんだと思う。実家が太いから。

▲なんか他のアイドルより規模がでかい気がする舞台装置

シナリオ上のプロデューサーは、歌って踊れるアイドルになることを諦めさせ、実家の太さを利用してお金のかかったコンセプトのライブを行えることと、そのコンセプトを観客に伝える案内人としての所作の素養が自分にあることを千奈に飲み込ませて、観客に求められる姿を内面化させていきます。ここまでがTrue Endまでのおおまかな流れです。

他のアイドルについても同様で、求められる姿を内面化するまでが、現状プレイできるゲームの範囲の体験となっていて、ライブの成功だけではマスキングされきれずにうっすらと漂う残酷さや悲しみがかつてのアーケード版アイドルマスターを彷彿とさせる体験になっています。

違うのは、アイドルマスターのプロデュース終了がアイドルとの別れを意味し、次のプロデュースでは同じ顔と名前をした別のアイドルにしか会えなかったのに対し、学園アイドルマスターのプロデュース終了は1学期の終了にすぎず、アイドルの同一性が担保されてる点です。

だから逆に気楽にプロデュースができない。3回プレイしたらゲーム内では1年が経ってる。千奈をTrue Endに連れていくまでに9回プロデュースしたから、僕はあやうく高校生活3年間を棒に振らせそうになっていたということになる。怖くてまだ3年生をプロデュースしようと思えない。

そうやって、ゲーム上のフレーバーと、それは一体何を意味するのか、俺はプロデューサーとして何をしようとしているのかを考えるのが楽しくて、多分実際にプレイする時間以上に、学園アイドルマスターについて考えてる時間のほうが長くなるゲームなんじゃないかなと今のところ思っています。

ここまでで22時20分。間に合いませんでした。文章整えてないけど投稿して終わりにします。

と思ったけど、学園アイドルマスターの3Dモデルについての感想を書くの忘れてました。感想は特にありません。つまり3Dモデルの芝居に対して、それが3Dモデルであることを全く意識しないで見ていられる時代になったということでこんなに嬉しいことはないよね。映像表現をあるがままに楽しんで、積極的な想像力をゲーム体験と文芸面に向ける余力が出るね。以上。

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