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「笑ってはいけない」は「通過儀礼」だ

 なんと、今年の大晦日は「笑ってはいけない」が無いそうですね。

 https://www.news24.jp/articles/2021/09/20/08942534.html

 毎年「今年が最後なのでは」と言われていたから、そろそろ終わるかなと覚悟はしていましたが、いざ休止が決まるとショックですよね。毎年の大晦日の楽しみがなくなることに今から戦々恐々としています。楽しい大晦日、楽しい年越しを迎えられるのか不安です。

 「笑ってはいけない」シリーズに対してここ数年感じていたことを年末に言語化しようかと思っていたけれど、年末に「笑ってはいけない」が放映されないなら、今言語化してしまうことにします。「笑ってはいけない」シリーズへの感謝と次枠の番組への期待を込めて、この文章を上梓します。


 そもそも「笑ってはいけない」シリーズとは何ぞや、と思っている方(いるのか?)のために、ざっくりと説明しますね。

大御所芸人が笑ったらケツをバットで叩かれる番組。以上。

 この基本理念が15年間ぶれずに受け継がれつつ、年代に合ったゲストを呼んだりその年のニュースをパロったりして新風を吹かせていたので、この番組は15年という長きにわたって愛されているのではないかと推測しています。

 「年代に合ったゲスト」の中には、年明けに日テレのドラマに出演する役者さんやその年バラエティを賑わせたタレントさんなどがいますが、その年を象徴する芸人さんが多く出てくることも注目に値します。去年なら霜降り明星、EXIT、ミキの3人が出演したり、数年前にはサンシャイン池崎やあばれる君、チョコプラのお二人が出演するなど、その年にひな壇でよく見た芸人さんが仕掛け人として多数出演されています。



 話は飛躍しますが、文化人類学の中に「通過儀礼」という概念があります。世界中の儀式を分析したファン・ヘネップという人が提唱した考えで、全ての儀式には分離・過渡・統合という三つの局面があるというものです。つまり、各人がそれまで置かれていた地位や状態から分離し、日常から離れた中途半端な状態(過渡期)を経て、新たなステータスを獲得して再び日常生活に統合するのが儀式の役割なのです。

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 引用:https://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/CA20.html

 例えば成人式。式の前に20歳を迎えているか否かは置いておくとして、未成年という地位から脱し、式の中で未成年と成年というどっちつかずの立場を経験した後で、成人として世の中に送り込まれるのが成人式ですよね。また、就活もこの観点から見ることができます。就活というイベントを通じて大学生という立場から分離し、就職先が決まって大学生と社会人の間という曖昧な立場を楽しみ、社会人という新たな身分を獲得するわけです。

 このように、人の一生には分離・過渡・統合を伴う通過儀礼がつきまとうわけですが、過渡の部分に面白い特徴があります。それは「どっちつかずの不安定な立場なので、普段はできないことができる」というものです。先の成人式の例で言うと早生まれの未成年でも飲酒が黙認されたり、就活の例だと単位を取らないで遊んでばっかりいても許されたり。

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引用:https://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/CA20.html


 過渡期に普段できないことをすることには、その後の日常の秩序を正常に保つという役割があります。例えば会社の忘年会では、社内の上司や部下という関係がフラットになり、部下が上司にお酒を注ぐといった無礼講が許されます。忘年会も旧年から新年へ移行するための通過儀礼なのですが、宴という過渡の時期に日常の秩序から解き放たれた行動をすることで、日常に戻った時に社内の上下関係という秩序がより強固になります。



 この忘年会の例、まんま「笑ってはいけない」じゃないですか?

 「笑っていけない」シリーズは年越しバラエティなので、この番組は旧年と新年の間の過渡期に当たります。そのため、他の通過儀礼と同じように番組の中でも「普段できないこと」がされています。それが何かというと、ひな壇芸人が大御所芸人を陥れるというものです。

 年末以外に放送されているバラエティ番組って、笑ってはいけないの5人(主にダウンタウン)がひな壇芸人をイジったり彼らに指示を出すことが多く、笑ってはいけないメンバー>>>>ひな壇芸人という明確な上下関係があります。

 でも、「笑ってはいけない」の中ではそのひな壇芸人が仕掛け人となって大御所芸人を笑わせます。ひな壇芸人は何をしてもペナルティはありませんが、笑ってしまった大御所芸人にはケツバットというペナルティが待っています。この中で大御所芸人にペナルティを与えるために若手芸人は立ち回るわけですが、普段の番組ではもちろん大御所芸人に罰を与えるなどというのはご法度です。そのため、「大御所芸人を笑わせてケツバットの刑に処す」という普段できないことが、「笑ってはいけない」という過渡の時期に許されているのです。

 また、数年前に行われていた暴露大会も似たようなものだと思っています。仕掛け人となる芸人たちが大御所芸人の前で本人に対するきつめのゴシップを披露するというコーナーでしたが、これも過渡期という無礼講の時期だからこそできた企画なのではないかと考えています。


 このように、「笑ってはいけない」にはひな壇芸人が優位に立って大御所芸人に罰を与えるという構図がありますが、これがあるからこそ普段のバラエティがより面白くなっていると考えています。「笑ってはいけない」の中でいつもの上下関係を一旦無視して無礼講を働くことで、ひな壇芸人と大御所芸人の関係が強化され、それが年明けの番組に生かされていると思っています。秩序が強固になり、芸人同士の関係が深くなったからこそ、去年までは見られなかった芸人同士の深い絡みを見ることができ、結果的にバラエティが面白くなっているのではないでしょうか。

 


 愛のあるボケツッコミを繰り返し、みんながニコニコしているダウンタウンと若手芸人やひな壇芸人の関係性が大好きで、この関係性の背景には何があるのかなぁと考えていたら学術的な話になりました。もちろんダウンタウンの人柄、バラエティスキル、ダウンタウンにイジられる芸人のボケ力とかも関係性を強固にしている一因だとは思いますが、お互いがお互いを信頼して自然体で振る舞い、それを笑いに昇華できるのは、大晦日に「笑ってはいけない」があるからだと思っています。

 今年は「笑ってはいけない」の枠で新しい企画が始まるそうですが、その中でも過渡期の概念が受け継がれ、普段ダウンタウンに一泡吹かせられている芸人たちによる反逆が見られればいいなと思っています。それで来年以降のバラエティがもっと面白くなりますように!

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