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乳がん、ステージゼロ(1)

2019年5月 乳がんステージゼロと診断されてから、2019年9月 手術を受けるまでのこと、そして振り返って思うことを綴っています。

ある日、突然、乳がんと言われた


エコー検査は、30歳頃からほぼ毎年、人間ドックで受けていた。ほぼ高い確率で「経過観察」という結果が出たが、「すぐには心配ないでしょう」と言われ続けてきた。いま思えば、もう少し気に留めるべきだったのかもしれない。

40歳になった年、区から乳がん無料検診の案内が届いた。まだ受けたことがないマンモグラフィ検査だし、これを機に、と思いながらも、後回し後回しにしているうちにその年は過ぎていった。

翌年、また案内が届いた。有料にはなったけれど「今年こそは」と、ようやく年の瀬になって重い腰を上げて、近くのクリニックで検査を受けた。

年明け、「きっとまた同じようなことになるんだろう」と思いつつ、軽い気持ちで結果を聞きに。すると、なんだか先生の表情が渋かった。そして「あのですね、石灰化が見られたんです。念のため精密検査を受けてください。ここではできないので、病院を紹介します。そんなに急がなくて大丈夫ですけどね。」と言われ、紹介状と画像データを渡された。思いがけない結果に、年明け早々、暗い気持ちになってクリニックを後にした。

けれどまた、しばらく放置した。どうせ「あとあと見逃した」と言われないためのリスク回避でしょう。検診でがんが発見される確率なんて低いのに、わずかな可能性で精密検査に回すなら、検診の意味なんてないんじゃないの?なぜお医者さんのリスク回避のために、身体的にも経済的にも負担を負って検査を受けなければならないの?と。

でも、紹介状と画像データの入った大きく厚みのある封筒は、捨てるわけにもいかず、いつも視界の端に入っていた。そして状況を話していた友人たちは「あと1ヵ月早く行っておけば、なんてなったら嫌でしょ」とか、「自分が正常だと知るためにわざわざ検査を受けるなんてバカバカしい」という私に「自分が異常ではない、と知るための検査だよ」とか、相変わらず腰の重い私の背中を熱心に押してくれて、ようやくその年の5月、紹介された大学病院で精密検査を受けた。

何十年ぶりかの大病院の診察室。看護師さんに言われたとおりベッドに仰向けになっていると、ベテランの先生が現れた。「乳がん検診で引っかかったんですね。40歳検診?」などと言いながら、エコーで診る。「ああ、これね。念のため細胞を取って調べましょう。いいですか?はい、局麻」と、下から見上げるだけで顔も良く見えないし、名前もわからない、会って数十秒後の先生から胸に麻酔をかけられ、細胞をとる太めの針をぐいっと差し込まれる。日常では考えられないシチュエーションだな、なんて考えていた。先生は「誰が見ても悪性のものと、誰が見ても良性のものがあるんですよ。だけど、あなたのはどっちとも言えない。でもたぶん大丈夫でしょう」と言うので、あまり心配もせずに病院を後にした。そのあと、針を刺した場所がチクチク傷んで、少し仕事の集中力を欠いた。

2週間後。結果を聞きに再び病院に。さっと結果を聞いて、そのあと仕事の打合せに行くつもりだった。診察室に入ると、この前の先生が、なんだか神妙な顔をして座っている。そして椅子に座るなり、「この前の検査の結果がね、良くなかったんですよ。乳がんですね。ステージゼロ。」と言いながら、紙の上に乳房の断面図をしゃかしゃかと書いて、乳がんステージゼロとは、乳腺の中にがん細胞が留まっている状態だと説明してくれた。乳房がどんな構造をしているかなんて知らなかったから、その説明が意味することが、あまりよくわからなかった。そして「これから、CT、MRI、PETの検査をしていきます。予約とりますね。〇月〇日いいですか?」と言いながらPCでカタカタと予約を入れていく。「手術は夏頃ですね。1週間かからないでしょう。検査のあとに担当の先生と会う予約を入れます。手術や再建の詳しい話はそこで」と。

「ステージゼロ」という言葉に勝手に救われた直後に、「再建」という言葉に頭が真っ白になった。再建ということは、胸を切るということ・・?話の途中で、先生に「大丈夫ですか?」と聞かれ、「大丈夫です」と答えたが、大丈夫なわけはなかった。

徐々に呆然としてきた。いま、自分の身に何が起きているんだろう?これが世に言う、がん告知というものなのか。こんなにあっけなく。。PC画面に映っている電子カルテには、自分の名前とともに、「乳がん」という文字が記されていた。え、もう決まっちゃったの?

そんな中、検査日を決めるやりとりで、「あ、その日は仕事の予定があります」ととっさに口にして、あれ、そんな事言ってる場合なんだっけ?と自問したけれど、まだその時は、事の重大さを理解する材料があまりにも少なかった。(先生も「そうですか。では、、」という感じだったので、決して非常識な反応ではなかったのかもしれない。)

CT、MRI、PETというテレビくらいでしか見たことがなかった高度な検査名が並ぶ予約票を受け取り、病院から仕事の打合せに向かった。病院から駅に向かう道で、駅のホームで、たった今自分の身に起こったことを思い返し、怖くなって泣いた。自分の置かれている状況について理解できたのは唯一「乳がん」ということだけで、ただただ怖かった。


こうして、乳がんと向き合う日々は、ある日突然に始まった。


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