「同一労働同一賃金」
単に言葉の選び方の問題だけかもしれませんが、初任給といっている限りは、年功序列、しいては終身雇用という制度を依然として残し続けようとしている、もしくは残るものだと思い込んでいる勢力を感じとってしまいます。個人的には、同期入社の社員の間で昇級や賃金の格差があるというよりも、同期でなくても同じ仕事をしていれば、同じ成果を出していれば同じだけの給与が支払われる方が労働意欲と生産性は高まる方向に振れると考えています。その意味で着任時に担当する職務によって給与が異なるのは人材を公平に評価していく流れが生じ始めている兆しとしては望ましい変化だと捉えています。
しかしながら、初任給×能力主義という言葉の組み合わせで使っている段階では、まだ入社前にあいまいな評価基準で推定した能力に対して、給与に差違をつけているにとどまっているのかもしれません。結局は入り口が違うだけでその後で同じ仕事をやっているにも関わらず、なぜか給与や昇進スピードが違うという状況に陥らないように気をつけなければいけません。国家公務員のキャリア組とノンキャリア組のような人事運用のような運用には決してならないで欲しいと思います。男性だから女性だから、キャリアだからノンキャリアだから、AI人材だからAI人材でないからというだけの理由で、入り口でつけられた格差がそのまま維持されてしまっては、人事制度としては何も進歩していないのと同じです。現時点での変化は、あくまで人材育成が進んでいない人材獲得競争が激しい分野で人材を確保するための一時的な変化にすぎないのかもしれません。同じAIを担当する部署の中で初任給に変化をつけるというより、部署間での給与格差をつけるというだけの変化であれば、結局は部署内では横並びの処遇であることには変わりがないのではないでしょうか。それでは単なる産業界の技術トレンドの変化に対応した現象にすぎないでしょう。
前回のテーマ企画(#どう変わる正社員)でもお話ししましたが、職位給×時間であるメンバーシップ型の雇用であるいまの労働環境においては、若手から中堅に移行するしたがって男性社員の自己評価が低下していっていることを指摘しました。さらに突っ込んだ調査が必要ですが、ここにはメンバーシップ型の労働環境下において、男性に仕事中心の人生観が根づいている中で、頑張りが客観的な形で直接給与に反映されにくいことと、人口動態の変化による世代間格差を生みやすいことが陰を差していると考えられます。
やはり能力主義という期待値評価云々よりは、メンバーシップ型の雇用における職位給ではなくジョブ型雇用における職務給への移行を進めていきますという大企業からのメッセージが世の中に送られたときに、私は日本が変わりはじめたと感じるのだと思います。職位や正規・非正規の別とは関係なく、人材がこなしていった職務の総額として給与が支払われる形で決められていくことが生産性を高め、多様な人材が活躍する機会を創出し、かつ公平と受け止められる給与体系ではないかと考えています。そこでは、個人が求める働き方に応じて自分で職務と給与の調整を行うことだってできるでしょう。