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劇団四季 │ ノートルダムの鐘を見て


ノートルダムの鐘をご存知ですか?
1996年公開のディズニー長編アニメーションです
原作は『ノートルダム・ド・パリ』という1831年ヴィクトル・ユーゴー著のゴシック小説です

先日、これをもとにした舞台作品 劇団四季の『ノートルダムの鐘』を見て大変感動したので、少しだけ感想を書きたいと思います

例の如く、致命的なネタバレを多分に含みますのでご注意ください
ディズニー版『ノートルダムの鐘』はD+などでも配信されておりますので、是非とも見てください。アランメンケン作曲作品は全て壮大で美しいです。





■ ディズニーへの期待


私はかなりディズニー作品が好きで、大抵のアニメーションは見ています
特にアランメンケンが作曲担当をしている作品をよく見ていました
その曲の壮大さと、大団円らしいfinare instrumentalが大好きで仕方ないのです

昨年のディズニー・オン・クラシックも観劇しました
公演はA日程:ラプンツェルのプログラム日数が大多数を占めるのに対し、B日程:ノートルダムの鐘のプラグラム日数がごく僅かしかなかったことを嘆いたぐらいには、ノートルダムの鐘が好きです

今回は3ヶ月前からチケットを予約していた程楽しみな舞台でしたので、当日会場へは期待に胸を躍らせて、かなり緊張して向かいました



■ 舞台セット

美しい舞台セットと光芒から始まる


会場に入るなり、心は高鳴ります
既に舞台セットが、良い。

劇団四季の舞台は大変構成が良く、またライティングにも非常に力を入れているので、1シーン1シーンが劇的に映えるのです

このセットもきちんとした建築家の監修が入っているそうで、ゴシック建築が好きな私としては始まる前から満足していました

また、このノートルダム大聖堂は既に失われていて見ることが出来ないという事実も、この作品をより感慨深いものにさせるのでした

ステージナタリーより引用

物語が始まってもなおこのセットは活き活きとしていて、ノートルダムの広場にも窓辺にも屋根裏にもなり、鐘撞きは本当にそこに大きな空間があるかの如く鳴り響いていました

この舞台セットが見れたことだけでも十分に満足できましたが、ここで繰り広げられる人間の光と闇を鑑賞して私はさらに興奮しました



■ ストーリー


『ノートルダムの鐘』のあらすじは以下のようなものです

15世紀末のパリ。ノートルダム大聖堂には、醜い容姿のカジモドという鐘つき男が住んでいた。
最高裁判事の男・フロローに厳しく育てられていたカジモドは、外に出ることを一切許されていない。
しかしある日、カジモドはフロローの言いつけを破って外に飛び出し、道化の祭りに参加する。
カジモドの期待とは裏腹に、街の人々の反応は冷たいものだった。
人々がカジモドを見て嘲笑い、石を投げていじめる中、美しい踊り子・エスメラルダは彼を庇った。

カジモドは、そんなエスメラルダに一目惚れする。

カジモドを庇ったことでフロローの反感を買ったエスメラルダは、フロローを筆頭に護衛隊や街の人々に追われる身となってしまった。

エスメラルダを救おうと奮闘する内に、カジモドの暗い心は変化していく……

https://dream.jp/entmeet/article/63fc46c80e6bba46f701a949/


まず、これは致命的なネタバレとなってしまうのですが、ストーリー自体は原作とディズニー版アニメーションを混ぜ込んだシナリオで進行し、エンディングは原作のエンディングに準えたものになります。

その解釈で終わってくれるのが、あまりにも、あまりにも良かったです

あまりにも、バッドエンド

アニメ版だと、ヒロインはより容姿の良い騎士フィーバスと結ばれ、主人公の醜いカジモドはヒロインのエスメラルダと結ばれないものの街の人間に受け入れられ大団円…というものなのですが

劇団四季版だと原作に基づくので、フィーバスは瀕死、エスメラルダは火事により死亡、フロローは転落死、カジモドは数年後に死亡という、あまりにも救いのない終わり方になります

全員死にます

特にノートルダムの鐘を知らずにここまで読んでしまった方はなんて暗い話なんだ!と思うかもしれませんが、そこがいいんです

元々の原作は他にも「レ・ミゼラブル」や「ああ無情」などを手掛けるような暗く救いのない物語を描く作家です

ですから、悲しくジメジメとした人間模様、それでいて確かな決心がきちんと残されたまま表現されていた劇団四季版は酷く私の好みでした

ディズニー版のノートルダムは、G指定(全年齢が閲覧出来る内容)のものにしなければならなかったため、特にエンディングは納得のいかない終わり方をするなとは思っていました

愛する人は"見た目の美しい"騎士に盗られてしまったのに、街の人に受け入れられ始めただけで、満足して良いのか?と思っていました

なので、原作版に基づいて、絶望して散っていったカジモドの姿には心から共感でき、納得できました

数年後、処刑場を掘り起こすと、白い服装をしていた女性エスメラルダと思われる白骨に、異様な骨格の男の白骨が寄り添っており、それらを引き離そうとすると、砕けて粉になってしまった。

wikpedia「ノートルダム・ド・パリ」より

なんて美しい終わり方なんだ…



■音楽と歌詞

まず、つべこべ言わずにメインテーマを聞いて下さい
あまりの壮大さに心が震えます
物語の頭も頭に、この曲を採用するなんて大きすぎませんか…?


ミュージカルのエンディングの歌は、
「What makes a monster and what makes a man?」(怪物とは何か、人間とは何か)という歌詞で締まります

その歌詞が一番よく映える終わり方でした
原作者ヴィクトル・ユーゴーの"不運は人間を作り、幸運は怪物を作る"という名言が身に沁みるエンディングでした

俗にいうバッドエンド、その中に渦巻いた人間の憎しみ、情熱、慈悲、執念、正義感、嫉妬、そういったあらゆる感情の全てを煮詰め燃やし切った作品だと思います

最後には、このメインテーマに合わせて役者が一人一人"醜さ"を表現したインクを顔に塗りながら体をひしゃげるシーンは特に印象に残りました

醜さってなんなんでしょう、美しさってなんなんでしょう


■カジモドの表現

カジモドは見た目がとにかく醜いのです
背骨は酷く折れ曲がり、目の上に大きな瘤があるそんな醜悪な見た目で描かれているが故に、ディズニー版でもすすんで見られることはないのが現状です

ですが、それと対比した心の美しさを見事に表現していたのが劇団四季でした

他人から見たカジモドのシーンは、体を丸めながら声もしゃがれて辿々しく話すような演技をしていたのですが
カジモドの独白のシーンでは、背筋をピンと伸ばし、しっかりと明日の方向を見て、遠くまで響くような美しい声で歌っていたのです

あぁ、見た目の醜さだけで人の強さを図っていたのは私たちだったなと思わされます

怪物を作り出すのは、その人の見た目ではなくて私たちの心なのかもしれません
そう思わされる素晴らしい演技でした


■ フロローの愛おしさ

ノートルダムの鐘の中に登場するヴィランズ(悪役)フロローは、ヴィランズの中でも悪役というよりかなり人間らしく振る舞います

この世の全てを手に入れようとしていた訳でも破壊しようとしていた訳でもないのです
ただ愛する弟のために、残された唯一の息子を律儀に育て上げたに過ぎないのです
エスメラルダへの恋心を拗らせてしまっただけのよくある人間なんです

それが全て空回りして大変なことになってしまうんですけれどね

人って、他者への興味と自己愛をないまぜにして拗らせると怪物になると思いませんか?
フロローは、その偏った自分の正義感を信じて疑わないまま生きて死んでしまったのです

現代でもフロローのような人は沢山いるなと思いました
恋をしすぎてしまって、破滅の道へと行進していく人
むしろ愛らしささえ覚えます



■まとめ

劇団四季版『ノートルダムの鐘』は、楽曲・ストーリーエンディングを含め大変素晴らしい舞台でした

残念ながらもう終演してしまったのですが、非常に人気な公演のため、数年後に復刻公演する可能性があります
気になった方は、是非劇団四季に再演をリクエストしてみてくださいね

最近は舞台鑑賞へのモチベーションが高いので、劇団四季の『ウィキッド』や『オペラ座の怪人』などを見ようと思っています

皆さんも好きな舞台、おすすめのミュージカルなどがあったらコメントやリプライで教えてくださいね


長々と書いてしまいました
以上が感想になります。




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