シージの大会でCreepy Nutsのライブを見たら涙がボロボロ溢れてきた
先にあえて否定的な側面を書く。この投稿ではまず最初に批判をしなければならない。
まだシージの国内競技シーンは相当未熟である。それでも今年からX-MOMENT(ドコモ)の主催になって、明らかに盛り上がっていることは間違いない。
しかし盛り上がっているのは「興行的に」であることに言及して置かなければならない。本当に選手のこと、シージのことを考えているのかは疑問が浮かぶ。例えば今では確実なシーンを形成しているRAGEのやり方とは正反対だ。金をかけるところは本当に合っているか?あの大量の客寄せタレントは必要か?運営はシージを道具としてしかみていないのでないか?
確固な地位あるプロシーンの形成には、選手たちとのお互いの協力とファンの獲得には、どうしても長い期間が必要になる。それをどうにか、極めて日本の典型的なナショナルクライアント的な広告の打ち方でどうにかしようとしているようにしか見えない。それでなんならやはり盛り上がらないのであれば切り捨ててしまうのではないかという危惧さえ感じる。
今大会ではその興行的な一つのイベントとして、Creepy Nutsのライブがあった。
結論、これがあまりにも素晴らしかった。
私は最初このライブの存在についても否定的だった。客寄せにせよミスマッチだ。何よりこんなタイミングでは、香盤的に選手のことを考えてないのが丸わかりだ。
しかしCreepy Nuts本人たちは……もうとんでもないプロだった。
以下に覚えている限りの記録を記す。当ライブはアーカイブが残っていないため、どうしても一言一句確実ではなく、私の記憶頼りの脚色もしてしまったかもしれない彼らのメッセージになってしまうことをご了承頂きたい。
開始3曲程度歌った後のMC。
「次からの曲はHIP HOP一本で生きていくと決断する前の不安定だった、僕たちの曲を歌います。」
ここで『ドクターフランケンシュタイン』、『かつて天才だった俺たちへ』と続く。そして更にMC。
「今日のメインは大会であることは間違いないのですが、どうしてもHIP HOPというのは俺の自分語りです。今日俺たちは(ゲームに関係ない)自分のことを歌います。でも聞いてくれる、ここにいる皆さんがそれに不思議とやはり自分を重ねてしまうのもHIP HOPです。
俺たちはこのHIP HOPで生きると決めて戦ってきました。このRJCに出場している選手たちもそうだと思います。キャッチコピーである『コレで生きるって、決めただろ。』の通りだと。」
そして『スポットライト』。
テーマソングとして随所で流れている『スポットライト』はこの大会のために書き下ろされた曲ではない。時にしてもう3年も前の曲だ。しかしこの曲はあまりにもこの大会にぴったりだった。歌詞がどう考えてもこの大会を物語っているようにしか見えない。
冒頭批判はしたものの、RJCはオフライン大会としての規模は最高のものだ。選手たちはさぞ嬉しかったのではないだろうか。何より楽しんでいそうな様子が、入場時のパフォーマンスなどから伺えた。全員が、本当に全員が自分のことを最強だと思ってこの立派なオフライン会場、東京ビッグサイトに来たはずだ。
そして合計4日間の長丁場、それでも戦いは厳しいもので、光あるところに闇あり、勝つチームがあれば敗れ去るチームも現れる。そこで負けた選手たちは、壇上の生き残ったチームを見て絶対に思うことがあるはずだ。
「俺がそこに立ちたかった」と。
この経験の積み重ね、スパイラルがシージの日本シーンそのものを成長させる。チームの数、選手の数、ラウンドの数…一つ一つにドラマがあり、その相互作用に惹き込まれる。来年こそは、俺達が優勝してあの場に立ってやる。
この一連のesportsというドラマ、数々の熱い試合、Creepy Nutsの素晴らしいライブパフォーマンスとメッセージ、そして普段の何者でもない自分という人生……この全てが重なった時、私は感極まったのかボロボロと涙が溢れて止まらなくなってしまった。それほどに感動的な体験だった。
冒頭の批判は、そのことが、このCreepy Nutsによるメッセージと重ね合わせた選手たちの想いを「思い出したんじゃないか」と、それで何かが変わった気がしたから書いた。まだX-MOMENTになって一年目の国内シーンにとって本当にいい機会だったのではないかと。あくまでも勝手な気がしただけだが。
このオフライン大会という体験が、我々一般人にも味わえる世の中に早く戻ってほしい。
また全て過去形で記したが、明日こそが決勝戦だ。まだ大会は終わっていない。最後まで生き残るのはどのチームだろうか。非常に楽しみだ。
やはりesportsは面白い。