沈む
ボコボコボコ。
何もない何処か ──。
僕が目指してすらいない、けれど、行かなくてはいけない何処か ──。
年老いた両親は、はなから僕に関心などなかった。
息苦しい田舎。
退屈な毎日。
変化などまるでない、同じ日々の連続。
身体ごとぬかるみに沈んだ僕は、そこから出ようと、ただ必死に、下手くそに足掻き、人の関心を誘うために非行に走った。
つまりは、滅茶苦茶に好き放題した、というわけだ。
何かが変わるかもしれないと思って。
誰かに何かを助けてほしくて。
ただ、見つけてほしくて。
中学卒業と同時に、僕は逃げるように家を出た。
僕の選んだ道は、遠く離れた地での自衛隊への入隊だ。
虚しい非行に走って、醜く足掻く、苦しくて馬鹿みたいな日々より、ずっと正常だと思えた。
息苦しさを感じる故郷を捨て、愛情のカケラをついぞ見せてもくれなかった両親から、離れるために。
どれほど辛酸を舐める厳しい訓練でも、ジタバタと泥沼で足掻くよりは清々しかった。
嬉しくも潜水艦乗りとしての資質を見出された時、驚きとともに感動が込み上げてきた。
どれだけ辛い訓練でも、認められることがこんなにも嬉しいものだと知り、僕は心の底から驚いた。
同時に、小さなことでも両親が僕の何かを認めてくれていたら、僕はこの地で訓練を受けていなかったのかもしれないと思うと、胸の奥がじんわりと痛んだ。
そして僕は、深海の静寂と戦慄の中で、ソナーマンとしての重要な役割を担うこととなった。
潜水艦の中は、閉鎖された空間でありながらも、僕にとっては心の安らぎを与える唯一の場所だ。
誰からも追いかけられることのない、静かな海の底。
僕はその中で、深い安堵を感じるようになった。
少なくとも、そう思いたかった。
ソナーの音に耳を澄ませる日々。
微細な音の変化や、振動を感じ取り、それを解析する仕事は僕にとって、一種の瞑想に近いように思う。
海の中の音は、外界のざわついた雑音とは異なり、僕の心をそっと静かに包み込んでくれる。
それが、ただの機械音であっても。
その静寂の中こそが、僕自身の逃げ場所でもあったから。
ある日のことだ。
僕らの潜水艦は、某所の深海に向かって進んでいた。
外は真っ暗で、ただソナーの画面に映る無数の点のみが、僕の世界だった。
一瞬目を閉じ、その音に耳を傾ける。海底の静寂の中で聞こえる音は、まるで僕自身の心の声のようだった。
「此処でいいんだ」
心の中で呟いた。
誰も追ってこない、誰も僕を見つけることのない場所。
しかし、その言葉にはどこか虚しさがあった。
空虚の中で響く。
「此処でいいのか?」
海の底に逃げても、心の底には逃げられない何かがあると、僕は知っている。
知らないふりをしているだけ。
突如、ソナーに奇妙な音が反響した。
僕は眉をひそめ、画面に目を凝らす。
音はゆっくりと近づいてくる。
指先が緊張で固まり、冷たい汗が額を流れた。
音は何か大きなものの動きを示していた。
心が一瞬にして、現実に引き戻された。
潜水艦内の緊張が高まり、全員がその音の正体を探ろうとしている。
僕は再び音に集中し、海の静寂に身を委ねた。経験と直感が、音のパターンを分析し始める。
「ただの潮流の変化だ」と、最終的に判断した。
隊員たちはその言葉に安堵し、再び日常の任務に戻る。
僕は深く息をつき、仲間に知られないようにそっと手の甲で汗を拭って、再び海の音に身を委ねた。
しかし、心の奥底には大きな不安が渦巻いていた。
逃げても、沈み続けても、本当の救いはないことを僕は知っているから。
海の底で、僕は一時的な安らぎを見つけた。
しかし、それはただの逃げ場に過ぎない。
海の底で僕の心は、静かに、しかし確実に沈み続けていた。
どんなに足掻いても、水面には辿り着けぬ。
ボコボコボコ。
微細な機械音の他に、水に沈む音がする気がする。
ここは泥沼ではないだけ。
何もない何処か ──。
僕が目指してすらいない、けれど、行かなくてはいけない何処か ──。
ボコボコボコ。
誰にも手が届かぬ場所へ……僕はいつまで沈み続ける旅をするのだろう。
旅とも言えぬ、ただの逃避とわかりながら。
果てなどわからぬ。
僕にも、誰にも。