子どもの予測不能な未来を信じて宇宙にゆだねるとき。
ここのところの気づきを備忘として記します。
このたび、末っ子のはなまる学習会をやめたことでの気づき。
保護者以外で、子どものことを本当に親身に、同じ目線で見てくれる大人がいない。(学校や保育園はあくまでも集団の中のひとりという位置づけ)
このことが、ずっと、私の子育て中の不安要素でした。
中学生の長女のときには、物理的に、ひとりにできないということもあったため、学童などに頼る形で、やってきて、結果的には、いつも第三者の大人が関わってくださる環境で子育てができました。子どもの目線で関わってくださる先生に恵まれていたと思います。
小学三年生の長男は、保育園には通っていましたが、園や外でしゃべることがなく、私自身が子どもを通してのつながりが作りにくかったですが、園の役員をやったり、他の気の合う保護者と仲良くなることで、子どもは保育園以外の第三者とつながることはなくても、つながりを絶やすことはありませんでした。本人のHSS気質もあり、いろんな習い事をやりたがりましたが、今はアクターズスクールで、メンターや先生が子ども目線で考えてくださる環境があると感じています。
そして末っ子2年生。彼女の場合には、上の子がいることで、より一層家族のみになりました。保育園卒園後は学童も行きましたが、もうほぼ行っていませんで、やめてしまい、唯一、子どものことを子ども目線でみてくださっていた、はなまる学習会もやめてしまいました。ダンスは楽しく学んでいますが、ダンスを教えてもらっています。本人たちの成長を子どもを中心に関わって指導してくださっているようには見受けられません。本人はそれでも安心していられる環境のようで、継続しています。
HSCちゃんが、本当のつながりで、他者とつながっていくには、時間がかかるかもしれません。
でも、親の私が子どもを信頼し、社会を信頼し、今持っている最後の砦と思っている子どもと自分がつながっている関係を、子どもの意思がそれを欲していないのであれば、手放す勇気も必要だと学びました。
めちゃめちゃ勇気がいる決断でしたが、今の子どもたち、未来のことは全くわかりません。ただ、わかっていることは、その子が特性を生かせることを伸ばしていく。それを止めない。そして自分から社会とつながっていくタイミングがあると、信じて、これはもう本当に宇宙にゆだねる。
そういう世界なのではないかと思うのですよね。
余白になにかが生まれる。頭ではそう分かっていても、自分が信頼できる、でも子どもにちょっと合ってないんだよなーと無理やりそこに合わせてきました。今あるつながりをやめるという選択は、なかなかできなかったです。
でも、もう親の私たちは子どもの意思を尊重した選択をしていかないと。その選択をする自分を信じて、子ども自身を信じて委ねていかないと。
子どもたちは自分の世界観や自分の人生を生きることはできない。
そう確信しています。丁寧に優しく乳幼児のようにいつもそばに寄り添う。その子が社会とつながるそのタイミングまで。手がかかるし大変だけど、必ずそうしていくなかで、羽ばたくタイミングがくるはずだから。
子どものこれやりたい。これ楽しい。これおもしろい。
ちょっとうるさくても、ちょっと、イラっとしても、それがその子の道なのだと信じて。嫌だと言っていることは無理に頑張って続けさせないで。
そうしていこうと心に決めました。
最近まで自分のことを信じれていなかったから、こんな私では、子どもの未来をどうにかしてしまいそうだったから、他者にお願い!どうにかして!と、なっていたなぁという私自身の気づきでもあります。
でも、大丈夫。私は、今できることをやり、今やることをやり、それを子どもたちにもそのまんま分かち合いながら、自分がしたいように丁寧に、優しく子育てをしていけば、子ども自身は、つながる力、生きる力は持っている。羽ばたくときは、来るのだと。