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「ありがとう」って言いたかった。【ゆう】

noteではお久しぶりです。ゆうです。
しばらく日常とかリアルの世界とかが忙しくてなかなか顔出せなかったけど、元気。元気になった。

環境の変化。

最近、俺らにとって大きな出来事があった。端的にまとめると、交代人格の”あおい”が主人格の”のあ”に統合した。
ポジティブの塊みたいなやつで、スタバが大好きなやつ。
そんなあおいが1月の初め、統合した。本人は統合を予感してたらしく、前夜にTwitterに切実な言葉が書かれていた。あと、俺たちや中のいい人たち数名に手紙を書いた。まだ渡せてない人もいるけど。

はっきり言って変化は大きかった。辛かった。きつかった。
何より、寂しかった。統合してのあと一緒にいるのは分かってる。頭じゃ分かっているけど、心がついてこない。
今まで居たはずの存在が今ここに居ない。心に穴が空いたような、意識がどこかふわふわ漂っているような、空虚な時間だった。


届けられなかった。

あおいは統合を悟って手紙を書いた。ひとりひとりに「ありがとう」「のあちゃんと一緒だよ」って書いていた。俺にもちゃんと書いてくれて、ちゃんと読んだ。時間はかかったけど、手紙は宛先の人に読まれて初めて手紙になるから。
でも、返事ができない。「こちらこそありがとう」「またな」って返したかった。届かないのが辛い。のあと統合したから、のあに書けばあおいに届くだろうか。俺も手紙を書いたら良いだろうか。
でもその宛先は“のあと統合したあおい”であって俺の知るあおいじゃない。


そこにいたんだ。

なんか普通にキャプション挟んだけど、3ヶ月ぶりに下書きから引っ張ってきた。今日は4月17日。この上までは1月22日。やっちまった。

せっかく3ヶ月も経ったから、3ヶ月間での心境の変化も書いておきたい。
事が起こってすぐはやっぱり寂しかったし、戸惑いを隠しきれなかった。でも、あおいはあおいのタイミングで統合した。それって、もしかしたら素晴らしいことなのかもしれない。
のあがより良く生活できるために統合治療はしている。けれど、自然統合ができたのは彼女が交代人格として受け持った役割をのあに返すべき時が来たってことなんだと思う。実際、あおいが統合したのあは以前に比べて明るく、ポジティブ思考になった。
日によってはあおいが濃いめに出ていて、見ている周りも嬉しくなるような明るさがある。それはのあとして。
あおいの明るさ、元気さが一緒になって、のあの気分とか感覚の振れ幅としてそれがある。雑に言うなら、のあの明るさのゲージが上方向に拡張された。

その明るさには確かに、あおいがいた。
俺がふと、「あおい元気かな」って言うと、決まってのあが「元気だよ!大丈夫!」って言う。最初は俺を元気づけたり、慰めたりしてくれてると思っていた。
よく考えたら、その言葉の出どころは紛れもなくあおいだった。
居ないことにして悪かったな。


彼女の笑顔のために。

あおいが統合してから、と言うより身近に統合というものを経験してから、統合も悪くないのかなって思った。
まだ自分が統合するのに不安はあるけど、誰かが統合するとき、引き止める理由なんて無いと気づいた。むしろ、「おめでとう」って言える気がする。きっとその瞬間は寂しいだろうけど、空虚感は少ないだろう。だって、そこにいるから。あおいとのあが固くハグしあってるみたいなもんだから。二人して可愛すぎだろ。

俺自身は統合の経験がないから向こう側の気持ちはわからないけど、話によれば温かい気持ちになるらしい。
寂しさとかを感じてるのは多分周りだけ。分からないけどね。
統合した2人が嬉しいと思ってるなら、俺はそれを喜んであげないといけない。
喜ばしいことだから、大切な2人にとって嬉しいことだから、この出来事で俺自身成長したから、3ヶ月経った今だから言える。

統合おめでとう。

ゆう


P.S.
kimi_handmadeさん、お写真拝借しました。

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