自分の幸せを願うこと【のあ】
書きたいことはあるのに、書き始めると自分の考えの浅さに気づいてキーボードを打つ手が止まる。
思いつきで書き始めて中途半端に止まってるnote達が下書きに溜まってる。
今日は書き終えられたらいいな。
できれば20分以内に。お友達を駅まで迎えに行かなきゃいけない。
幸せ=悪なの?
今日は特に思ったというより、前々から薄っすら思ってたこと。
でも、最近このことを考えるタイミングが増えたってことは、気になってる話題なんだろうね。
キャプションがちょっとオーバーになってるかな。まぁいいや。
私が思ってるのはこれ以上でもこれ以下でもない。
幸せだと、なぜか良くない言葉が飛んでくる。
なんで?嫉妬?
私はいつも疑問に思う。
他人の幸せがそんなに羨ましいなら、自分も幸せになったらいいじゃない。
矛先が間違ってると思うんだよなぁ。
幸せって悪いことなの?
私も幸せになりたくて今の平穏を手に入れたのに、それが否定されちゃうの?
それは悲しい。とても悲しい。
だって、それまでの努力を全部無かったことにされてるから。
ちょっと待って、ここで20分経っちゃった。
このnoteが下書きで終わらないといいんだけどな…
不幸になりたい人なんていない
この1行のうちに1週間経っちゃった。
ここから再開します。
私が言いたいことはこのキャプションのとおり。
不幸になりたい人なんて居ないでしょ?ってこと。
私だって幸せになりたいし、きっとあなたも幸せになりたい。
言葉には出さなくっても、辛いことはできる限り避けたいはず。
自分の幸せ、他人の不幸
自分は幸せになりたい。でも、他人の不幸を願ってしまう。
頭では分かっていても、自分以外の誰かにネガティブなことが起こらないかと考えてしまう。
何か成し遂げるとき、積み上げる過程は途方もないのに、崩れ去るのはほんの一瞬。瞬きをして、目を開いたときには世界が真っ暗になっていたりする。
やっぱり、全部同じことだった。
”幸せ”なんていう大きい割に曖昧な目標を積み上げるときはゆっくりゆっくり。だからこそ、変化に気付きづらい。
逆に、幸せが崩れ去るのは一瞬で変化が大きいから、目に見えてよく分かる。
私達は目に見える変化を欲しがる。いつだってそう。
長い時間をかけて小さく積み上げてきた”幸せ”にはなかなか気づけない。日々の変化が小さいから。
自分も、誰かも、同じリズムで幸せを積み上げるから、その差はよく見えない。
でも、どちらかが崩れたとき、差がどんどん開くように見える。
だから、不幸には敏感になる。
自分の幸せを願いたい
自分の幸せを願うこと。当たり前のようで当たり前じゃない。
自分が幸せなら、きっと周りも釣られて幸せになれる。
自分が幸せじゃないと、周りを幸せにするなんてできない。
私が、私を幸せにする。他の誰でもなく、私が。
そうやって思ってたら今は幸せ。
こうやって書いてたら、Mr.Childrenの「名もなき詩」という曲を思い出した。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの
本当に大切なものほど、生み出そうとすると遠ざかる気がする。
でも、そういうものって気が付けばすぐそこにある。
いつも通り、自分の思うままにいれば気が付いたときに幸せになってるんだろうな。
今以上幸せになれるなら、”幸せ”ってものに限界がないのなら、ふとした時に気づけたらいいな。
皆さんが幸せでありますように。
皆さんが幸せに気付けますように。
ではまた。
のあ