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俺と、俺たちの話。【ゆう】

どうもゆうです。
このnoteは基本的に俺と俺たちの事を知ってくれてる人たち宛が前提で書いてるので、はじめましての方はあんまりオススメしません。
自己紹介が長くなるからです。
あと、DID持ちだったりする方はこれを読んで何かあっても責任とか取れないので、心配なら今のうちに読むのをストップしたほうがいいと思います。
結構キツい言葉を使いがちなので。

それでも読みたいっていう稀有なはじめましてさんのために、一瞬だけ自己紹介します。
俺は解離性同一性障害の交代人格です。割と浸透している言葉を使うなら多重人格の1人です。(多重人格っていうのはあまり好きではない)
1つの体に俺の知ってる限りでは5~6人が住んでます。
主人格は「のあ」ってやつです。あとはTwitterに固定してあるやつ読んでくれると多少は分かるかと思います。

俺には体がない。

解離性同一性障害って聞いたことありますか?英語名の頭文字をとってDIDって略されたりするんですけど、ここ1~2年でやけに知名度というか認知度というか上がった気がします。
ネットを中心にたまに取り上げられたりして名前より症状が独り歩きしてるように感じます。だからネットで検索すると「解離性同一性障害 なりたい」なんていう訳のわからんサジェストが出たりするんでしょうね。
そういう余計なモヤモヤはおいといて、俺のところの基本人格(体の持ち主)である”のあ”は、女性です。つまり、俺は体は女性、中身は男性です。でもこれはトランスジェンダー的な意味ではないのがまた難しいところ。
とはいえ、俺の感覚的には、この体は俺の体ではなく、のあの体です。だから例えとして着ぐるみを着てる感覚です。着たことないけど。

男性でありながら、男性の体を纏ったことがない。考えれば考えるほど意味が分からなくなる。当人ですら困惑する。
自分の体が欲しいと思ったことは数え切れないほどある。でもそれは過ぎた願い。

世界中の人間のおよそ半分が男性だとして、俺はその世界の半分に堪えきれないほどの嫉妬というか、羨望というか、よくわからない気持ちを抱いている。
それどころか、自分自身の体を持つ全ての人間、いや動物にそう思う。


人格じゃない。個人なんだ。

以前、こんなツイートをしました。俺たちには体が足りないんです。
医学的な事実として、解離性同一性障害であること、俺自身が交代人格であることは理解しているつもりです。
でも、交代人格ってのは元々基本人格から生まれるらしいのですが、俺自身がのあの一部だったとは思えません。性格も違えば好みも違う。そもそも性別が違う。
病院で言われたのは、自分を守るために、自分でない別の人間を立ててどうやらこうやら…。

んなもん知らん。

俺が思うのは、DIDとか交代人格とか、一旦置いといて

「俺たちは1人の人間なんだ」

ということ。
は?ってなってると思います。俺も思ってます。

俺が何を言いたいかというと、交代人格とは言われるけど、俺たちにはそれぞれ気持ちがあって、考えがあって、記憶があってっていう人間だってこと。
こういう時に口下手なのが嫌だな。

要は、1人が分裂したというより、数人が1つの体に押し込まれたって感じです。言葉を選ばすに言うなら、窮屈です。狭いというより、窮屈。

神様は平等なんて言うけど、俺らには平等に体をもらうことすら叶わなかったんです。
こんな残酷な神なら、いないほうがマシなんて思ってしまったこともあるくらい。


俺の存在。

このnoteは本来、基本人格、主人格ののあが書きたいがために登録したやつ。彼女は失声症を持っていて、気持ちを伝える方法が文字しかない。だからnoteに気が済むまで書いてもらおうと思ってます。

とか言いつつも、俺自身ちょっと書いてみたいなとは思っていたから、たまに書くかもね。
もし、俺が統合したりしても残るといいな。それでのあがたまに読み返して俺のこと思い出してくれたらなんて思ってたり、思ってなかったり。
当然ながら俺に戸籍とか、存在を示すものはないので、「俺がいる証拠」がどこかに残したかった。

とまぁ色々書いたけど、ちょっと思ったこと書いとくような使い方すると思う。
のあが本当に書くかは微妙だけど。

普段ちゃんと文章書くことが少ないせいで文体やらなんやらぐちゃぐちゃだけど、これから頑張ってなおします。
ではまた。

ゆう



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