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書跡と古籍から見る「令」

皆さんは令という文字を書くときに、どう書くか迷って困ったことはありませんか?三画目も五画目も点で書くと学校で習った方が多いと思いますが、活字と大きく形が異なるのはなぜなのでしょうか?そのような疑問に答えます。


「令」殷墟甲骨文. 書法字典より

「令」とは

そもそも令とはどのような意味を持っているのでしょうか。令の上の三画は口を象っており、下部の卩(ふしづくり)は跪く人を表します。これは王が人々に命令を下し、服従させていることを表しています。原義として人に行動を強いる、命令を下すなどの意味を持ちます。また原義から転じて、「良い」という意味をも持つようになったようです。論語の「巧言令色鮮し仁」や元号の「令和」などの令はこの意味です。ただ現代では、令が良いという意味で使われることは少ないため、意味が理解されないこともあるようです。

卩(ふしづくり)って何?

人が跪く姿をかたどった、字の構成要素。服従するという意味や、単に座っているという意味で使われる。節という漢字の旁(つくり)であることから「ふしづくり」という名前で呼ばれる。伝統楷書の「節」は、草冠が艮(ごん)の上にのって偏をなし、卩が旁となっている。
電子機器に入力するときは「わりふ」で変換できる。

「節」褚遂良·因宜堂法帖. 33書法より

令の字を手書きするには

それでは本題の、令の字を毛筆で手書きする際に、どのように書けばよいかという問題について考えてみましょう。ただ、ここでは一つのみを絶対正しいとする基準を示す訳ではありません。本来文字は、判別ができさえすれば正誤の問題になりませんが、見栄えのために楷書の多数派を示します。一般に知られる令の字形は複数あり、書き手によりさまざまです。

字形とは,個々の文字の見た目,形状のことである。(中略)文字の識別に関わるような大きな違いから,線の太さ,曲直,角度,つけるか,はなすか,はらうか,とめるか,はねるか,といった細かな違いまで,様々なレベルでの文字の形の相違を字形の違いと言う。

文化庁(2015)「常用漢字表における字体・書体・字形等の考え方について」より

字形とは文字通り漢字の見た目で、字形の違いとは、同一の字にみられる様々な程度の表し方の差異のことを言います。令の字形の差異が認められる箇所は、最初の二画を除く三画です。三画目は横画か点の違い、四画目は横画ののち左に撥ねるか縦画と撥ねかの違い、五画目は縦画か点の違いです。三画目と五画目は伝統楷書で表記ゆれがあり、四画目は康煕字典体(こうきじてんたい)により登場した字形です。先ほど説明した甲骨文字に照らして正しい表現を私が決めるならば、三画目は横画、四画目は撥ね、五画目は縦画になります。ただ、楷書は筆で書かれるものなので、筆写時の書きやすさについて考慮しなければなりません。それを勘案して、中国の書跡で歴史的に用いられるものが正しいとします。

「令」褚遂良·雁塔聖教序. 33書法より
「令」虞世南·孔子廟堂碑. 33書法より
「令」王羲之·停雲館法帖. 33書法より

では実例を見てみましょう。令の三画目は楷書でも行書でも点である割合が多いです。この理由を推測すると、短い横棒は細い線で書かないと見栄えが良くなく、不格好になりやすいからでしょう。さらに言えば横画と点では書くのにかかる時間が大きく違うため、点が好まれたのだと思われます。

「言」褚遂良·雁塔聖教序. 33書法より
「言」周 · 中山王响方壶. 書法字典より

同様の理由で「言」の一画目は、篆書では横画であるものの楷書では点で書かれます。伝統楷書では四画目に縦画を持たないので省きます。五画目については、行書では点で書かれることがほとんどであることがよく分かります。

行書体の令. 33書法より

しかし、楷書では縦棒で書く例の多さは一目見ただけでは分かりません。そこで、独自の手法で割合を計測してみることにしました。用いたサイトは書跡を一文字単位で検索して閲覧できる33書法です。

楷書体の令. 33書法より

令の五画目は点と縦棒のどちらが多いか集計してみた

定義:点は起筆で筆を押さえず、右下方向に筆を動かし押さえた後に、手前に紙を抉るように筆を傾けて形を整えるもの。縦棒は角度を重視する。点のように短くとも垂直であれば縦棒と見なす。
計測方法:まず五画目が縦棒の令を100字数える。その後、一覧を遡りながら点の令を数える。以下がその結果。
点:63
縦棒:100

この結果によると縦画と点は、5:3の比率でした。正しさを伝統的な楷書の多数派に求めるならば、三画目が点、四画目がはね、五画目が縦画になるように書くとよいでしょう。

活字の歴史から「令」を見てみよう

先の調査結果からは、楷書で令を書く場合は五画目を縦棒で書く方が良いと分かりました。それでは活字で表すにはどのような形が良いのでしょうか。現代日本の活字は清代に作られた康煕字典体をもとに簡略化されたものです。印刷の歴史と共に令の字がどのように変化したか見てみましょう。

宋代

世界で初めての印刷が行われたのは唐代の中国で、木の板に文字を彫り付けて紙に刷る木版印刷が発明されました。この印刷は仏教の経典を複製するという宗教上の需要から生まれたようです。その後の宋代では文化が興隆し、印刷が大規模に行われるようになります。これによって学問が広まり、当時の富裕層である士大夫が役人になり権力を拡大することに寄与しました。

また宋代には印刷に関連する、摸刻という複製の手法も発明されています。これは学習や鑑賞のために書跡を写した、「法帖」を印刷するために始められたものです。従来の模写では時間がかかり精度も劣るため、手書きに代わり石碑が活用されるようになったのです。手法を解説すると、まず石碑に書跡を精巧に写し彫り、表面に墨を付けて紙に拓本がとられました。そうすることで書跡の複製を量産することができたのです。

『精拓張金界奴本蘭亭叙』,文雅堂書店,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1117558 より一部改変し転載

活版印刷も宋代に発明されましたが漢字の文字数の多さゆえに普及せず、当時は版木印刷が主流でした。職人の手によって版木に彫られ、印刷された字の形は楷書体に非常に近いものでした。実際に中国の国立デジタル図書館の資料を見てみましょう。

「史記」第1冊10頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「三國志」第3冊3頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「三國志」第3冊4頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「史記」第1冊10頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「史記」第1冊6頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋

これらから分かるように楷書と違う点も見受けられ、公の字に表記ゆれが見られます。公の二画目が楷書で当たり前の点でなく、払いとなっているものがあることが興味深いですね。令の字も同じように字形がさまざまです。この時代の版木印刷の書体は、能書家の書跡を参考にしており、一つの古籍の中で一貫しています。しかし面白い点として、同じ一つの文献の中で細かな字形の差異があることが挙げられます。複数の職人が分担して作業しているからなのか、理由は分かりません。ですが一つ分かるのは当時、字形を統一しようとする意欲が低かったということです。

明代

そして明代に入ると印刷書体は楷書から離れ始め、独自の特徴を持つようになります。右払いの始点や横画は非常に細く、そこにウロコや筆押さえなどの装飾がつくようになります。それとは対照的に縦画の太さに変わりありません。また縦画は垂直、横画は水平になり直交するようになります。

「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋

なぜこのような変化が生じたかという疑問について答えを考察してみましょう。楷書では画数が少ない文字は小さく、画数が多い文字は大きく書かれます。先に述べた通り、宋代の古籍の文字は楷書と同じ形で、画数によって大きさが変わります。それとは対照的に、明代では字の大きさがある程度統一され、おおむね正方形に収まる形へと変化しています。

「三國志」第3冊3頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より
「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より

この字の大きさの平準化が字形の変化を促す要因となったのではないでしょうか。楷書では画数が多い字は縦長なので、正方形に収めるには縦に縮めて横画の間を狭くするしかありません。しかしそれでは可読性が低くなるため、横画が細くされたのです。これで疑問は解決かと思いきや、「ではなぜ全て細い線にならなかったのか」という新たな疑問が生じます。可読性だけを追求するならば全て細くとも問題はないはずです。そうならなかった理由には楷書の見た目との乖離という問題があったのだと思われます。楷書はもとより横画を細く、縦画を太く表す書体です。このような太さの差がある理由には、縦長な篆書から横長な隷書へと書体が変化したという漢字の歴史が関係しています。

「書」周 · 趨鼎. 書法字典より
「書」漢 · 尹宙碑. 書法字典より
「書」王羲之·快雪堂法帖. 33書法より

画数の多い漢字ほど縦長に表されるのは篆書でも同じで、全体的に非常に縦に長い書体となっていました。全ての文字が縦長であったため、画数が多い字が縦に長くとも目立たなかったのです。しかし隷書へと変化する際に、記録媒体が縦に筋が入っている竹簡木牘へと変化します。縦に入った筋を横断するには力が要り、必然的に横画が長くなり全体の字形が横長になります。そうなると、画数が多い漢字は縦横同時に大きくなってしまいます。この状態で文章を書くと、小さく横長な文字と縦に大きい文字が同時に存在するという問題が生じてしまいます。このままでは文章が読みにくくなるため、横画を細くして縦に短くせざるを得なかったのです。こうして細い横画と太い縦画という組み合わせは長い歴史の中で人々に定着したのです。これを踏まえると、横画は極端に細くすれども縦画の太さは保持することで、字形の「漢字らしさ」が失われないようにしたのだと考察できますね。

縦画の太さ比較

また、文字の大きさが均一化されるという事は、「日」など本来小さな文字が大きく表されることになります。その「日」を細い線だけで表すと字の隙間が大きくなり、不自然に見えてしまいます。そのため縦画が太くなったという理由も考えられますね。

筆押さえの例(公):「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
筆押さえの例(之):「周禮」第1冊24頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
ウロコ(横画の終点につく)と筆押さえ(右払いの始点につく)

さて、まだ謎は残っています。ウロコや筆押さえなどといった装飾は何のために付けられたのでしょうか。ウロコはまだ分かりますが、筆押さえは楷書にほぼ表れることはなく、完全に意味不明です。このかざりの目的を考えると、印刷で生じる掠れの問題に対処する上で発明されたものだと推測できます。版木に墨を塗って紙に転写するという作業の中で、墨が十分に塗られなかったり、押し付ける圧力が足りなかったりして印刷に失敗することがあります。そうして掠れてしまった文字の中で読めなくなるのは細い横画や、払いはじめの細い部分などです。しかし、細い部分が掠れてしまってもウロコや筆押さえは消えません。つまり、掠れてしまった場合でも文字が読めなくならないように、装飾が付けられているのです。最後に直交する筆画について触れておきましょう。版木は鑿と槌で彫るため、曲線が多いと彫りづらく、時間がかかります。印刷の大量生産が行われる中で版木を効率よく彫ることが必要とされたため、筆画はまっすぐになったのだと考えられます。こうして見ると昔から今に伝わる物が、よく考え抜かれた産物であることが分かりますね。このようにして明代に成立した印刷書体を明朝体と呼びます。

印刷に適した書体

清代

その次の清代では康熙帝によって康煕字典が作られ、活字体は画一化されます。令の字はこの時代にまた変化し、下部が「即」の旁と似た形になります。

「鄖陽郡縣各工碑記」3頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「鄖陽郡縣各工碑記」6頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋

康煕字典体では活字体の形を、楷書に近い形から、より篆書に近い形へ変更しています。その試みの一環で、同じ起源の字の構成要素の形を統一したのだと思われます。また、この清代には活字印刷が一般化し、印刷物内の字の表記ゆれは起こらなくなります。日本の旧字体は活版印刷が普及すると同時に康煕字典体を基に作られています。その旧字体が新字体へ移行するときに多くが康煕字典の前の明朝体に近い形へと戻されました。その際なぜかは分かりませんが、令の活字体はもとの「明朝体」に戻されなかったようです。そのような経緯で日本の令の活字は康煕字典体と同じなのです。

まとめと提言

これでなぜ令という漢字の字形が、日本の活字体と楷書で違うのかが分かりましたね。楷書では五画目を縦画に作るのが多数派で、明朝体では様々な字形が見られました。ところが清代になると字形は画一化され、日本人にはなじみ深い、日本の「令」と同じ形になりました。日本は清の康煕字典体を活字に取り入れ、旧字体としました。それが新字体への移行時に元に戻されなかったことで、日本の活字体の字形は清代の活字体と同じなのです。

日本の活字事情はこのようにややこしく、分かりにくいものです。特に、表外漢字は康煕字典体のままなのに、常用漢字では日本が独自に簡略化した明朝体となっている点が混乱をもたらします。これは私見ですが、日本の活字は一貫性がないため、台湾の正体字を参考にするとよいと思います。台湾にも国が定める標準字体(正体字、国字標準字体)が存在し、教科書などにその書体が用いられます。その中では明朝体特有の、楷書と異なる形にこだわらず、楷書により近い形をした活字が定められています。

「道」周禮第1冊27頁. (中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站) より抜粋
「進」歐陽詢·皇甫誕碑. 33書法より
左が日本、右が台湾

例えば、日本の明朝体の之繞(しんにょう)は転折が無くなって簡略化されていますが、正体字では楷書と同じく三回曲がったのちに左へ払う形となっています。なぜ台湾ではこのように変えられたのでしょうか。我々現代人は毛筆で楷書を書いたり見る機会が少ないため、正しい漢字を学ぶ機会が限られています。すると、漢字が思い出せないとき、普段目にする活字を手本にして文字を書いてしまうことになります。明朝体は筆記に適しているわけではないため、活字体の改革に踏み切ったのだと考えています。日本と台湾では国の規模が異なるため日本も同じことをするべきだとは簡単に言えませんが、現状を変える必要があると思います。現代の印刷はデジタル化され、データを差し替えるだけで簡単に書体を変更できるようになっています。活字そのものの改革は容易となっているので、教育さえ十分に行えば書体移行は簡単に行える状態にあると言えるでしょう。

今回の記事で少しでも字形や活字に関して詳しくなっていただけたなら幸いです。もともと令の字の解説だけをするつもりでしたが、かなり長くなってしまいました。しかしこの内容の充実度は、みなさんの日頃の疑問を氷解するに足ると信じています。それではまた次回。

参考にしたサイト

漢語多功能字庫
漢典
書法字典
33書法
中国国家图书馆·中国国家数字图书馆网站


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