Sの奇跡(SS小説)

 今日、この夜を待っていたんだ。

 人々はカメラを持って空を見上げた。夏の終わりから秋を呼ぶ風が三日月の奇跡も呼ぶ。

 東から登る月と西から登る月の二つ、この世界にたった二つの月は今夜ピッタリ重なるのだ。それは月食、日食、金環日食よりも珍しい何百年ぶりの「Sの奇跡」の夜なんだ。

 Sの奇跡は三日月の重なりによって生まれるSの字から名付けられた光景だ。きれいにSに見えることは残念なことに少ない。斜めになること、横向きになること、ギリギリSに読めること(片方が小さく見えるときは肉眼じゃSにまったく見えないのだ。それでもSになったらSの奇跡と名付けられる)、そういった感じで「Sの奇跡」には格みたいなものがあるんだ。満月の中の赤い満月、みたいに。

 二つの月は大きさがちょっと違う。それに地球からの距離も。でも、同じ大きさに見えるような年もある。それが今年。だからすごい。滅多にないきれいなSの字。まぁまぁ斜めなのはアレだけど、それくらいは目をつむろう。だってちゃんとSなんだもの。

 顔をまぁまぁ傾けた。

 上の月がウサギのいる「月」で、下の月が「オオカミ」のいる「月々」だ。「月々」の方が「月」より小っちゃいんだって。オオカミとウサギなのに、逆の体格差がおもしろい。

 次にこのレベルのSの奇跡を見られるのは六百年後らしい。今日みたいに晴れてほしい。

 人のいない池の中で河童は笑った。

 ――キャキャ、キャキャ。クキャ。

 前のSの奇跡(レア)もこの河童は見ていた。

 空はこの数百年で汚くなった。

 でも、河童はここが好きだ。

 この夜が大好きだ。人の声が好きだ。月を喜ぶ声が好きだ。

 次の夜も、人と夜を喜びたい。人とはそこだけ、わかり合える。

 ――キャキャ、キャキャ。クキャ。

 水面の月光から、飛沫が上がった。

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