社会に必要とされる人間?
スポーツ教育の現場、特に高校の部活動においては競技以外の私生活、学校生活を大切にしなさい。という指導がされる。
日頃の生活が競技にも繋がってくる。その通りであり、その仕組みもよく分かる。
何か良くない行いをした生徒に対する説教の落としどころは、「社会に出てから通用しない。必要とされない。」「大変な思いをする。」「それではスポーツをやる意味がない。」このような御託を並べ、生徒たちを屈服させる。
この王道の説教はいつの時代から引用され続けているのだろうか。
私が提言したいのは「社会が必要とする人間」がどんな人材かスポーツ教育に携わる指導者側が理解していますか?ということである。
時代は流れているため、その時代によって必要とされる人材は違うにも関わらず、スポーツ教育の現場で施される指導には変化がなく、そのことが理にかなっていないと感じるのは私だけだろうか。
回りくどい言い回しはここまでにしよう。
スポーツ教育の場で行われている教育は
高度経済成長期(昭和30年~昭和47年)に必要な人材育成の場となっている。
これは指導者として立つ人間が、学ぶことせず、自分が受けた教育、経験をそのまま子供たちに与えていることが原因であろう。
私であれば、例えばスポーツを通じて、政治に興味を持つような教育をしていきたい。論理的な思考能力を養ってもらえさえすればそこに辿り着いてくれるであろう勝算がある。
昨今のコロナウイルスにより、日本の政治について多くの人が疑問を抱いたことであろう。しかしこれは体制が浮き彫りになったに過ぎない。
コロナの前から既に壊れていたのだ。
政治に疑問を抱いたり、文句を言う人に限って理解をしていない人が多い。
今ある政治は自分たちで選び自分たちで作り上げたということにさえ気づいていない。
どんな政党があり、どんな政策を掲げているのか。文句は言うがそこまでは知らない。といった具合だ。
ここから政治が他人事になっていることがわかる。
興味が湧かない?面白い政策を掲げている新興の政党もある。自分が生活する国のこと。ぜひ調べてもらいたい。
写真は今年に入って行われたニュージーランドのライブの様子
2万人の観客がマスクを外しライブを楽しむことができている。
コロナ封じの問題にしても、その他の事にしろ、日本の政治がこのままでは良いわけがないことは明らかであろう。
何かを変える必要がある時期に来ているのだ。
本題に戻りたい。社会で必要とされる人間はどんな人材か。
少なくとも高度経済成長期に必要とされた指示に対して従順な、組織の歯車となる人材ではない。
多くの人が幸せな生活を送る為に必要なことを考え、おかしなところや問題点に気づき、解決方法を考え、声を上げることができる人材が必要だ。
そんな人材は政治を他人事と捉えない。選挙へ行く。投票する為に政党について調べる。
その後、視野がひとつ広がり、世界、地球規模で物事を考えることができるようになる。環境問題、資源の事を考えどのような消費システムに方向転換していくべきか考える。
その点現代のスポーツ教育によくあるように
ひとつひとつである。
社会に必要とされる人材とは?
人に振りかざす正義の言葉で終わらさずに真剣に考えよう。
若者の指導、教育にあたる方々に届いて欲しい。