本当の感情に辿りつくまで、いつも時差がある
昨日、仕事の打ち合わせをしていた時、話の流れから編集者さんに「今の大木さんが素敵ですから、今を生きて下さい。今の佇まいのままでお願いします」と言って頂く機会があった。
その時、あぁ、どうにかこれまで粘って頑張って生きてきて良かったなと思った。
それだけ、その言葉が刺さった。
嬉しかった。嬉しくて、寂しくなった。
同時に、「今の大木さん」という言葉から派生して、こんなことを思った。
備忘録として、以下に綴っておきたいと思う。
◆
昔から、ボーっとした子供だった。
自分でも、それを理解していた。
周囲の親戚からも「あの子はボーっとしてるけれど、食べ物のことになると、その時だけは主張が激しいわね」とよく言われた。
食い意地だけは、筋金入りだった。
さて、そんな幼少期を過ごしていたのに、中学生の終わりに私は芸能界に入った。
そこは、魑魅魍魎が跋扈する業界だった。
全然ボーっとしてはいられなかった。
そこで私は、「ハキハキと明るく元気よく喋る、第二の自分」を生み出した。
第二の自分は、とても有効に働いてくれた。
それまでの「本当の自分」は頭の回転が遅くて、自分の心の内側を探求することだけが幸せだった。
他人のことは、わりとどうでも良かった。
でも、第二の自分は違った。
誰かに祝い事があるとすぐ祝い、外交に勝負を賭け、さらには率先して他者に声をかけながら生きていく必要があった。
正直、全然自分には向いてねぇ世界だなと思った。
でも、その「向いてなさ」が逆に軋轢になり、その軋轢から木片とかカスが生まれ、そのカスがどうやらかけがえのないものである、ということも分かっていたから、中々やめられず苦しかった。
息苦しさから生まれた、掃き溜めのようなチリやカスが、私を生かした。
その残りカスの中には、私が求めている「人生の余白と無駄」があった。
謎の構図だな、と思った。
良いのか、悪いのか、分からんなと思った。
早くどうにかして、社会的体裁を整えたかった。
そうすれば、息苦しさから解放されると思った。
第二の自分がいつの間にか一人歩きを始めると、その世界で知り合った人はそれが「本当の私」だと思う。
そんな君が素敵だね、と言ってくれる輩も現れ、そして、彼らから褒められると自己肯定感が高まるので、一時的な快楽に繋がった。
だから、今さらキャラ変することもできなかった。
そんな状態がずっと続き、いよいよ限界に到達し、それでも「本当の自分」はずっと心の内側で眠っていた。
本当の自分で世の中に出て傷付いたら、いよいよ生きていけないと思った。
だから、どうにか心を守るために「第二形態」の自分として戦う必要があった。
◆
30歳を過ぎた頃、私は小説家として私小説を書くことになった。
すると、今度は「限りなく本当の自分に近いが、突き詰めると、やはり社会向けにカスタマイズをされた自分」でマスコミの前に立つ機会が増えた。
とても複雑なのが、「今までの人生よりは遥かに生きやすいし、本当の自分に近い。しかし、やはりマスコミ向けにカスタマイズされた、わかりやすいキャッチコピーを持った、ドラマチックなネタを持った、他人に人生を説明する時に語りやすい自分」でいることが最善と思われた。
私には、それができた。
これまで芸能界で培われたスキルで、意図も簡単にそれができた。
しかし、みる人からみれば、それもまた「無理をしている」ということだったのかもしれない。
けれども、私としては「ここまでくるのにも10年かかった」という思いがあったので、この「第三形態の自分」は結構気に入っていた。
人生万々歳とすら思い、ここから微修正を繰り返しながら、本当の自分と、社会的な自分のすり合わせをしていけば良いと思った。
しかしこの私小説を世の中の多くの人に知ってもらえるようになった頃から、やはり「そこにも、何もなかった」ということに、なんとなく気づいてしまった。
何もなかった、というのは、自分や作品の世界観に対する否定ではない。
むしろ、向き合ったからこそ、到達した答えだった。
すると今度は何を指針に歩いてけば良いのか、わからなくなった。
私は得体のしれない喪失感に襲われ、「またここから再スタート」というハメになり、あぁ、とても面倒臭いなと思った。
とても面倒臭いし、以前より多くの知恵がついてしまった私が、人生及び、作家としてのビジョンを再構築していくことが少々ダルいと思った。
ダルいんだけど生きていかなくてはならず、さらに不思議と得体のしれない希望のようなものも心の内側から湧き出し、もう少し進めば、やはり今まで通り真実を掴める気がして厄介だった。
それはとても感覚的なものなので、言葉にすることは難しかった。
「再スタート望むところだ」という自分と「今度は、どんなコスチュームを着れば良いか全くわかりません」という自分がごちゃ混ぜになり、希望と絶望を行ったり来たりして揺れ動いていた。
◆
しばらくは、くさくさしていた。
もう何もしたくないと思った。
ただ、第二形態の自分から第三形態の自分に移った時に、「これは明確に良かったな」と思うことが1つだけあった。
それは、自分の周りの人が、全員、良い奴らであると気づけたことだった。
全員と言うのは語弊があるかもしれない。
いつか「あ、やっぱりそこまで良い奴じゃなかったわ」と、いつか思う日が来るかもしれない。
でも、少なくともその事実は、これまで「本当の自分を獲得したい」と思い続けてきた自分にとって、何にも代え難い救いとなった。
それまで、あまりに人に傷つけられてきたから。
◆
でも、今になって思うのだ。
今まで「他人に傷つけられてきた」と思ってきたことの多くは、「自分も相手を傷つけていた」ということの裏返しだったのかな、と。
どう考えても百パーセント相手が悪いと思うような経験も沢山あった。
そういう「明確に他者が悪いこと」について、この場合、述べていない。
そうではなく、人間関係で生じる軋轢や傷つき、「もうコイツ、なんなの?」と思うことの多くは、自分の考えが多少なりとも影響していたのではないか、ということだ。
それくらい、私は本当の自分がわからなかった。
よくわからないからこそ相手に多くを求めたり、依存したり、批難をしたりして、自分の正当性を担保していた。
でも、本当は全部、自分が自分を深く理解するためのプロセスに過ぎず、そのために色々なことが起こっていたような気がした。
分からんけど。
◆
未だに誰かから何か言われた時、その言葉に対する反応を咀嚼することに、時間がかかる。
必ず自分の「本当の感情」に到達するまで半日から数日ほどの時差がある。
これだけタイムロスがあって、よく生きていけるなと自分でも思う。
人と会った数日後にダメージを食らったり、後から幸せな気持ちなったりして、よく社会的生活が営めるよな、と自分でも不思議に思う。
でも、簡単に「本当の感情」がわからないからこそ、私は文章を書き続けている気がする。
しかも、近頃「もはや、この何代目なのか分からない自分が一周回って結構、気に入っている」という謎の自己肯定の域に到達してる。
これまで散々、自分というものついて考えてきたけれど、考えるのをやめた瞬間に、スコーンと「はい! どうでも良いです。人生、順調です!」と心の中の小さな私が、そう叫んでいる。
いつも、そこには、なんらかの再現性がある。
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