好きだった人のことを全然好きじゃなくなってた。
先日、昔好きだった人と遭遇する機会があった。
顔を見た瞬間はさすがに心肺停止し、呂律が回らなくなり、盛大にテンパってしまった。
どれだけ大人の対応をしようと思っても、全然、無理だった。
しかし、まあ全て終わったことだし、それは流石に理解しているので、湿り気を帯びた空気感を出すこともなく、一見すると全然普通に大人同士として無難に会話をした。
なんなら、私は彼の前でサバサバとした性格すら演じてしまった。
「もう貴様に未練なんか1ミリもないんです」ということを強調するために、意固地になって強い自分を演じてしまった。
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しかし、当初こそ「神様これはなんの苦行ですか?」と思った私も、その場で少しずつ冷静さを取り戻してみると、なんか全然平気だった。
「ってか、アレ? なんで私ばっかテンパる必要があるん? 私は私で素晴らしい人間であり、気負う必要なんか全然ねえのによ」
と、謎の怒りすら込み上げてきた。
たしかに苦行ではあったが、今の私は、彼のことを好きだった時以上に、大切にしたい人が増えたことに気づいた。
私自身、もはやあの頃の自分ではなかった。
あの頃から様々なことがあり、沢山の人と出会う機会があり、大切に積み上げてきた経験もあり、もはや人間を司る主成分からして丸ごと変わってしまっていた。
もはや、目の前の男のことがなぜ好きだったのかも記憶喪失かの如く思い出せなくなっていた。
私は彼の人間性を何も見ようとしないまま、「ただ本質を見ずに、恋に落ちていた」だけであったことに気づいてしまった。
もしかしたら、それは、彼に対しても失礼なことだったかもしれない。
謝らねぇけどな。
お互い様だから。
時間が経つごとに「動揺するのは時間の無駄」と思えるようになりナチュラルに肝が座り始めた。
そして、その後は、めちゃくちゃ普通に話して、めちゃくちゃ普通に解散した。
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一番重要なことなのだが、その日の私は、わりと可愛かった。
これは客観的事実として、美容に執念を燃やしていたこともあり、自分の仕上がりが良かった。
なんか、そう思うと「あ、良かった。この人と縁がなかったことに対して悔いなし」と思えた。
かろうじて自分が、自分らしくいられた。
見た目も、心も。それがギリギリ自分を支えた。
これが近所のスーパーやコンビニの帰りとかで、この世の終わりのような服装とメイクだったら、ちょっと自信ない。
過去に自分がその人を好きだったことは否定しないけれど、「ご縁がなかったというご縁」があることも、忘れてはいけない気がする。
スーパーハードな経験だったけども、その時に、負けない自分でいられたことが誇らしかったし、嬉しかった。
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