ドラムを通して自分の世界が大きく広がった話
アベです。
実は私は小学5年〜現在に至るまで ドラム というものを嗜んでいます。バンドの後ろ側で太鼓を叩いているようなアレです。今回はこのドラムに夢中になっていった過程とそこから学び感じ取ったことについて書いていこうと思います。
1:始まりは母の誘い。思いがけない楽器との"はじめまして"
「また何か習ってみれば?折角ピアノもやってたことだし...」
2005年の秋、母は私に対しそっとアドバイスをかけました。私は小学2年〜4年のはじめごろまで、音楽大学を卒業しピアノ講師の免許を持っている実の母からピアノを無料で直々に習っていました。今思えばかなり有難い環境で練習をしていたのですが、どういうことか私にとってピアノはあまり性に合わない感じでした。
そんなこんなで、ピアノを辞めたいと自らの口で主張して1年と少しの期間は、学校から帰ってきても特に何もせず漫画を読んでダラリと過ごしていた記憶があります。
アドバイスをかけてくれた母がチラシを手に取り、私に見せてくれたのは「ヤマハ音楽教室 ドラムコース」の文字列。
(ドラム...ドラムって、バンドの後ろらへんで色々と叩いて演奏している あのドラム...?)
イマイチイメージがはっきり湧かなかったですが、だらだらしまくるのもよくないなと思い体験レッスンを受けることに。
ある寒い夜の日、都内某所の教室にて 私は生まれて初めてドラムというものに触れました。講師の先生と挨拶をし、体験レッスンを受講。 あの時の先生の屈託のない笑顔と、初めて鼻腔をくすぐったドラムスティックが放つ不思議な木の香りを今でも覚えています。
スティックの持ち方、手首の使い方、各パーツの名称etc... 細かな基礎的な事柄を懇切丁寧に教えていただきました。
体験レッスン終了後、母は問いました。「どうだった?」
私は嘘偽りない気持ちでこう答えました。 「なんだか不思議だけど、楽しかった。気持ちよかった。もっと習いたい」
ピアノの指導を受けていたときとは全く別の、純粋な感情を表す日本語が私の口から飛び出ていました。 思いがけない"はじめまして"は 好感触でした。
2:寝ても覚めてもドラミング、楽器に恋する思春期盛り
体験レッスンの後、即決でドラムコースに入会すると決断をした私はそのままドラムという楽器に対して「いい意味で」沼に入っていくかの如くのめり込んでいきました。
楽譜上の記号の意味や、休符のタイミング、五線譜の音階... 新しいことを吸収していくことが楽しくて、毎週土曜日のレッスンが楽しみになっていました。
小学6年の頃の将来の夢は「プロドラマー」
今思うと無邪気で向こう見ずな夢でありましたが、それほどに熱中していたことは紛れもない事実でした。
中学入学後、部活動選びでは迷わず吹奏楽部を選択。担当希望楽器も、勿論パーカッション(打楽器)でした。
運の良さも相まって無事パーカッションに配属(?)され、ひたすら練習や合奏に3年間明け暮れました。
毎週土曜のレッスンにも欠かさず参加し、まさに音楽漬けの中学生活だったように感じます。
当時教室で先生の指示のもと練習し、できるようになった曲↓
・スピッツ『空も飛べるはず』
・ マイケル・ジャクソン『Black or White』
・Bon Jovi 『Bad Medicine』
・Extreme 『Deca Dance Dance』
・ステッペンウルフ『Born to be Wild』
などなど
...選曲に少し古めの洋楽ロックが多いのは先生の趣味によるものでした笑 ただ、こういった曲を聴き込み練習していく過程で洋ロックのイロハも同時に学べたと今では感じます。
3:バンドを組んだ高校時代、文化祭での"快感"
高校に入学しても音楽熱は冷めるどころかより勢いを増していき、軽音楽部へと入部しました。受験やプライベートに関する都合上、習っていたドラム教室は中学卒業と同時に退会をしましたが、在籍していた5年間はとても大切な思い出として残っており今でも色褪せていません。
軽音楽部では主に"邦ロック" いわゆるアジカンやELLEGARDENといった、流行りの邦楽を中心に演奏していました。
...そして、1年次の文化祭にて。
演目として ステージ上での軽音楽演奏 なるものがありました。要するに、「ライブ」です。
今まで、ドラム教室においては先生と一緒に曲を練習したり、先生に披露したり...中学3年間の吹奏楽部では 合奏をする...という機会はありましたが 「不特定多数の誰かに向けて披露する」という機会はほぼ皆無でした。
そんな私にとっては所謂「初ライブ」ですが、不思議と高揚感に満ち満ちていました。
練習通りにスティックでカウントを叩く...初めてのライブ曲は スピッツの 『チェリー』をロックテイストにアレンジしたものでした。 演奏した時何を考えていたかは。正直覚えていません。しかし、演奏が終わって立ち上がりタオルで汗を拭うと 目の前には拍手の嵐が。今まであまり会話を弾ませなかったクラスメイトや、少し接するのが苦手だった先生まで、皆が暖かい拍手を私達バンドメンバーに贈ってくれました。 ドラム教室の先生が最後におっしゃっていた
「たとえうまくいかなくても、とにかく楽しんで演奏してね。 楽しむことが音楽の醍醐味だよ」
拍手を浴びている最中、この言葉がずっと頭の中を駆け巡り、高揚感から多幸感に切り替わっていったことは記憶に新しいです。
2、3年次も毎年文化祭で披露をし、皆が私のことを「ドラム椅子に座ると別人になる」とまで評してくれました。
※基本的に授業中は静かに過ごしており、また体育も苦手であった私なので ドラムを演奏している時は「ギャップ」が出ていたんだと思います...笑
↑演奏時の私です。
4:学友と興じた"ブラックミュージック"から学んだ、音楽そのものの奥深さ
大学に進学をした後も軽音楽サークルへ入りましたが、一般的なサークルと比べて少し特殊な環境でした。というのも、
"18〜20歳前後の同年代の皆が 所謂 ブラックミュージック(R&B、ソウル、ファンクといった類の音楽)好き"であるサークルだったためです。
↑ こういう感じの音楽を好む人達の集まりでした。
当初そういった曲を聴いても、吹奏楽やロックテイスト一辺倒だった私にとってはあまり"面白くない"と感じていました。
しかし、帰りの電車や寝る前など、空き時間に少しずつ聴いていくうちに 「同じリズムパターンを刻むドラムパート」 や「うねるようなベースライン」 や「メッセージ性の強いグルービーな歌詞」の深みを味わえるようになり、空きコマ(授業のない時)を利用して部室内でレコードを聴くようになりました。
(いやはや、生まれてくる年代が違うレベルの音楽性だったなと...良い意味で)
↑グラハム・セントラル・ステーションの pow を 初めて聴いたときは衝撃でした。
ゴリゴリにヘビーなスラップペースの心地よさに気づいたのも、 pow を聴いてからです。
↑ 演奏しているときの私です。ブラックミュージック特有の正確なテンポ感を掴むのには苦労しましたが、音楽性を広げるのに大いに勉強になりました。
https://youtu.be/6JvSw1f1PbA
↑出身大がバレますが(), 5年前にサークル紹介ライブにて演奏した際の動画です。ドラム担当は私です。
5:社会に出た後、ありがたくも音楽サークルを社内で組み、忘年会にて披露
大学卒業後、紆余曲折( 1番初めの記事を参照ください https://note.com/a_be_sa_n_/n/ne453d8aff4b9) を経て現在の会社にて働いていますが、昨年の忘年会ではライブハウスを貸し切り、同僚たちと演奏をする機会に恵まれました。 趣味に没頭できるのは学生時代までと思っていた私にとっては大変ありがたく、また素敵な時間を過ごすことができました。
※尚動画は「社内の身内ノリ」がわりかしあるため割愛致します。
ここでも例の「ギャップ」が生まれたとのことで、同僚からは突っ込まれましたが...笑(仕事中は基本静かであります)
6:まとめ
私はドラムを通して、聴く音楽のジャンルを広げたり、また打楽器そのもののルーツを探ったり(特に大学時代)した結果、音楽を分かち合える深い知り合いに恵まれ自身の世界を大きく広げることができました。加えて 人前に出ることが全く恥ずかしくなくなりました。言葉で伝えるのが難しいような、もどかしい感情も ドラムの音にのせて音楽という形でたくさんの人々(聴衆)へ伝えることができます。とても素晴らしいと思います。
音楽というものは人間の様々な分野を知らず知らずのうちに育んでくれる大切なものだと改めて感じます。
現在の社会情勢的に、なかなかスタジオに入って練習する機会は生まれにくくなっていますが、世の中が落ち着いた際は思い切りドラムを叩きたいなと切に願っています。
今回はこの辺で、筆を置かせていただきます。
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