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道草日記*11月26日

どんな情熱的な恋も2、3年も経てば、緩やかに倦怠期はやってくる。
右手首の骨折と左手の筋肉痛で、QOLがダダ下がりしたので、
大相撲九州場所も真剣に悲喜こもごも眺めた。
栃ノ心が引退してから、好みの闘志顔を眺める楽しみが無くなった。
仕方ないから、豊昇龍の狼に変わる顔と、琴桜の修羅道に進む顔を眺める。どうみてもその筋の人が並ぶ観客席。しこを踏んで大地とつながり、
大地の怒りを鎮め、人間の賑わう、そのエネルギーを集める場所は特別だ。
神様が喜ぶ「氣」というものは、ああいうものなんだろうと思う。



なにやら空中戦が多いような気がして面白かったけれど、
千秋楽が過ぎると散歩くらいが楽しみとなった。
この3週間くらい、真剣にハサミのことを考えた日々はなかった。
体全体のこわばりがとれたせいか、ハサミを自由自在に使える奇跡を願う
事はなくなった。数々の実験をしたけれど、結局は使える左手を
鍛えるしかなかった。左手を使う頻度が増え、可動域が広がり、
なにより、真のハサミの使い方を体得した。
それは刃先に「氣」を込める事です。本当です。
お菓子の包装は大抵袋状なので、2枚の間には空気が入り、
双方の摩擦も邪魔するので小さな眉ばさみのように切り込みを、
まず入れることにした。その次に2枚の包装の間にハサミを差し込み、
一枚だけを切るようにすると、楽なことに気づいた。
ハサミの合わせ目の、奥がいいか真ん中がいいか、先がいいのか、
実験してみた。材質にも寄るのだろうか、縦と横では違うのだろうか、
などと考える毎日。生活に「切る」という行為が欠かせないことに気づく。
切り続けた結果、空気を切るようにハサミを使うのだ、
ということに気づいた。空気を切る「気持ち」が必要になる。
集中力を高めるということだ。職人技ってこういう積み重ねかと思った。

Takkaさんの記事は考えさせられた。コメントを読んでさらに考えた。
普段、どうということはない頭の中の考えも、誰かの言葉の刺激を受けて、
脳のどこかの細胞が動き出す。誰かの記事に引用されるということは、
その背景にさせられるわけで、好まない方もいらっしゃると知りつつ、
事後承諾で失礼申し上げます。

黒と白は、よく善と悪に例えられる。
はっきりしたコントラストの違いが分かりやすいせいと思うけれど、
それで例えるならば、正解は灰色と白なんだと思う。
灰色は誰かにとっては白に近く、誰かにとっては黒に近く見える。
黒はすべてを受け止める色だから、身に付けると強く見える。
昔々のお葬式は白を着たように、
白はただ、中和し、あるいは跳ね返す色なんだと思う。
そう考えると白が悪であり、黒が善の例えであっても構わないと思う。
白人が善で、黒人が悪だとか、
夜の暗闇が悪だとか、明るい朝の始まりが善だとか、
ステレオタイプの表現に影響されるのは嫌だ。
黒はすべてを素直に吸収して、苦しむ善人の色かもしれない。
白は周りを遮断して、我が物顔で世界を蹂躙する悪人の色かもしれない。
誰もがどちらの色をも内包しながら、その間にある好きな色を探して、
楽しんでいる毎日なんじゃないかと思う。
そうやって人は、クリアな水晶のように心を研ぎすましていくように思う。

「復活」なんて意気込みは、大相撲の千秋楽と共に消えてしまった。
夜が来ても、朝が来ても、そうそう状況は大きく変わらずにいる。
今年最初に書いた記事内容を思い出し、
そうだ、私自身が願っていたことではないか、と考えを変えた。

今朝の空の色はインカント・チャームの香水瓶のように、とても魅力的だ。



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野原 綾
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