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【お題】おすすめ*『風邪の効用』野口晴哉

右手首骨折で早一ヶ月。
左手の酷い筋肉痛が回復に向かっているところ、
3日程、抜けられない用事で無理をして、
生来のパタパタ性格が災いして、また転んで酷くしてしまった。
もうこれから先は優雅に暮らそうと思う。。。できるかな?

眺めることもままならないnoteを読んでしまうと、
つい刺激を受けてしまうことがある。
人間関係から隔絶して暮らし、世の中を見なければ、
「知らぬが仏」という平穏な状態でいられる。
大抵はそうはならない訳で、あちこちに耳を傾けてさえも、
どれが黒でどれが白か、誰が悪人で誰が善人かと結論を探す。
善悪で考えてしまえば、それは永遠に続くわけで、
どの時点で判断するかで妥協点がきまる。
あるのは、階層の深さがまちまちの、ただの判断だ。

お題の「おすすめ」とは、その単語だけで胸中に迫りくるものなので、
これまでのお題と違い、お題の選者が他者の存在に気づいて、
どうやら意図的に投げかけているのが面白い。
さて、今の時代に面白いのは石原莞爾ではないかと思っていたところ、
感冒が5類感染症に変わるというニュースがあり、
(マジすか!)とか、(さにあらん)などとつぶやいてみる。
人々はますます分断と規制の中で生活を送るよう推奨され、
その点において、政府が管理することとなる。
(なるほど、これが夢見た未来というものか)と恐れおののく。

私は二十歳まで生きられないと言われたほど、
生物学的には単純に弱い個体であったため、抗生剤漬けの子供であった。
思い返して見るに、じょじょに人並みに見えるようになったのは、
温泉湯治、潮湯治歴にかけては経験豊富であった事由によるものだ。
(黒ヘビを焼いた粉とか、怪しげなものも舐めさせられていたらしいが、
気持ち悪いのでそれは省く)
温泉は入るだけではなく飲まされ続け、
夏休みと言えば遊泳禁止の赤旗が上がらない限り、
午前午後の合計4時間は泳いで、もぐって、海に浮かんで過ごして、
ひたすら人体の抗酸化能力を上げたと思われる。
(スピ的な意味と海水温降下により、お盆過ぎは遊泳禁止)

放射線ホルミシス効果 - 東京大学

明治時代になると、治療法としての海水浴に関心が高まります。例えば後藤新平は『尾張名所図会』に描かれていた潮湯治・海水浴の人びとの姿に興味を募らせ、1879年(明治12)に愛知県の佐久島へ、翌々年には大野浦へ出向いています。科学的知見に基づく潮湯治・海水浴の近代化が必要だと考えた後藤は啓蒙書として『海水功用論 附海濱療法』を1882年(明治15)に出版します。明治政府も衛生政策普及の一環として海水浴の普及に努めます。ところが、「泳ぐ」という行為に関しては1888年(明治21)頃まで触れられていません。

泳ぐだけじゃない?! 海水浴の価値 │77号 みんな、泳いでる?:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター


そんな弱い個体も、初めて母親になり、
小児科のおばあちゃん先生に出会ったことは、
過去の疑問の数々を蒸し返す最初のきっかけとなった。
医食同源、薬食同源という言葉を知る。
「風邪とはいったい何なのか」
「どうしてみんなは元気なのか」
「熱が出るから駄目と言われると、すぐ熱を出すのは何なのか」
「夜中に車に寝かせられて病院までドライブはなぜ気持ちがいいのか」
「天気の良い午前中に陽に当たらず、教室で勉強するのはなぜなのか」
常にそのような思いを持ち続けていた子供の疑問は、
「なぜ我が子と比べて自分はどこが違っていたのか」に変わって行った。

読んでいたブログ主(転載自由)が同じような薬漬けだったことを知る。
西洋医学をすべて否定するわけではないけれど、コ〇ナ渦のさなか、
同じように(良い常在菌まで殺して、体力を落とさないように)と、
消毒を控え、入浴時には石鹸すら控えていたという同一行動を知る。
そして、さらに野口晴哉氏の、同じ本を読んでいたことも知る。

添えたブログは、健康な人は興味ない事柄と思われるため、
いるかも知れない少数派にむけて、念押しとして下記に一部転載します。
おすすめします。

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野口晴哉さんやシュタイナー、あるいはナイチンゲールさんなどに至っては、「病気は回復の証」だとしていたのですね。健康も病気もそのプロセスは同じだと。なので、そのような多くの人たちに共通していることは、
「無理に治してはいけない」ということでした。
自然経過のうちに回復することを手伝う程度にするべきだと。

野口晴哉『風邪の効用』より

病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。生命を保つためには自然のはたらきを活かすことの方が、人智をつくすより以上のことであるということを考えてみるべきでしょう。

シュタイナーは、1928年のイギリスでの講演「病気と治療」の中で以下のように述べています。

シュタイナーの講演『病気と治療』より

病気のとき、肝臓、腎臓、頭、心臓で生じるプロセスはどのようなものでしょうか。自然のプロセスです。健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです。

野口さんの
「病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です」
というのと、シュタイナーの
「健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです」は、まったく同じことを言っていることに気づきます。
ナイチンゲールの言う「自然のはたらきに従うこと」という看護の掟を考えますと、現在、病院にいる方々がチューブや数値を示す機械たちに囲まれる様子というのは、あれはどうなんだろう、とかも思いますけれど、まあ、それはここでは置いておきます。

そして、最先端の医学研究は、昔の人々が言っていたことをある程度、証明し続けてもいます。
たとえば、野口さんとシュタイナー、あるいは江戸時代の名医であった後藤艮山さんなんかかが、やはり寸分違わないことを言っていたこととして、「熱を下げてはいけない」ということがあります。

シュタイナーなどは「病気において、熱は最も慈善的で、最も治療的です」(1908年の講演)とまで言っています。

この世に今に至る「解熱鎮痛剤」というものが初めて一般的に登場したのが、シュタイナーの時代だったそうですが、それが発売された時、シュタイナーは大変に悲嘆したそうです。また、野口さんも、当時日本で流行していた解熱鎮痛剤を批判していました。

紀元前 400年頃の古代ギリシャの医師ヒポクラテスも「患者に発熱するチャンスを与えよ。そうすればどんな病気でも治してみせる」という格言を残しています。

しかし、この「熱を下げてはいけない」ということに対しての理論的支柱は、医学ではわかっていないままで、判明したのは、2019年になってからでした。

「感染症を治癒するための体内のメカニズムは体温が 38.5 ℃以上でないと発動しない」ことが中国科学院の研究で判明したのです。
つまり、38.5℃以上の発熱の際に、人間の細胞は「感染菌と戦うための最終メカニズムを発動させる」ということのようなのです。

そして病気は治っていく。

この「発熱の過程」で、解熱剤などで無理やり熱を下げてしまうと、感染症の根本的な要因であるウイルスなどの病原体を体から排除するメカニズムが完全には機能しないようなのです。

いずれにしましても、今回の イェール大学の研究もまた「 風邪の効用」というものの本質が、医学的研究により明らかとされたということになりそうです。

まあ・・・今は、コロナウイルスへの対策の中で、これらのような健康に対しての「自然のプロセス」というものを阻害し続けている社会となっています。

このような中で、「自然良能のメカニズム」が発動されるのは難しいはずで、社会全体の健康の行方に関しては、私個人としては、いまだにあまり希望的ではないですが、ひとりでもふたりでも、本当の「人間の健康の仕組」というものに興味を持つ方が増えればいいなあとは思います。

考えれば、この 50年前というような時期、子どもだった私は、病院で「薬漬け」にされていたのですから、何となくわかります。
そして、過去 50年ほど、日本をふくめて、世界中で、ガンや生活習病を含めた、あらゆる病気が爆発的に増加してきました。
その理由が今にしてわかります。

万華鏡

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野原 綾
花の苗を買って、世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡