復活戦日記*11月13日
ただいま右手首骨折中。
前回の記事を読み返した時に、肝心なことが抜けていたのに気づいた。
「つるっとしていて」というタグチさんの表現がツボにはまって、
大谷翔平選手のことを考えたのだが、
その「つるっとしていて」という印象を、
まっさらな魂ゆえと単純に考えていた。
同性と異性でも見方は違うのかも知れないと、ハッとした。
私が連想して、タグチさんのぼやきと、その表現が心に刺さったのは、
大峯千日回峰行者の塩沼亮潤大阿闍梨の話だ。
過酷な行の最初は、幽霊のような魑魅魍魎をバンバン見る。
その次は真っ暗な山の中で、キラキラと光り輝く仏様だ。
そしてその後はまったく何も見えなくなるのだ、という話。
見たことのない人は荒唐無稽な話だとか、
単なる脳のバグだという説明に終始するのだろう。
現代では何事もエビデンスの強要をせまる。
しかし、その無の中で対峙する自分自身とは何なのだろう。
気持ちは空に浮いているのだろうか。
それとも自分自身だけの世界なのだろうか。
何にもとらわれない現世の修行者のような、
捉えどころのない、自分が未だ足を踏み入れたことのない世界を歩く人々。
せめて良い傍観者でいるために、何が必要なことなのかを知りたいと思う。
ずっと、兵庫県変遷ウォッチングでも忙しいこの頃。
友人から成城石井のクッキー、おせんべい10袋のプレゼントが届く。
そうそう、籠城にはこういうのが必須なの。
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ
苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
そして、一休宗純の句をかみしめるこの頃。
神の戸が開くのか閉じるのか、はたまた何なのか分からないけど、
大風が吹いてるぞー、と叫びたい。
現実はスマホの中じゃなくて、ただ太陽の下にある。
ちゃんとみんなで現実に目を向けてみないか?
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