ベランダと少年
初めは何も分からなかった。
不安だった。
ここにいる自分の存在が。
これで大丈夫なのか?どうすればうまくいくのか?
見えているつもりでも全く見えていないようで、世界はぐるぐると僕の周りを狂い踊り続ける。その一瞬一瞬が残像のようなもので、はっきりと確かに見えたことはなかったんだ。
だから、不安だった。
不安だったんだ。
僕は、ある程度の“慣れ”を身につけた。
必死に、自分の立ち位置を見つけるために、残像達にはそれを知られないように、影の中を走ってきたんだ。
この道を歩けるぐらいには慣れてきた今。
僕はその“慣れ”が、惰性なのではないかと怯えるようになった。
はっきりとしないあの残像達は、今もまだ残像のままで、ふと、それはそれでもいいと思ってしまった自分を、怖いと思った。
僕が求めていたのは、“慣れ”だったのか?
実際、僕が“慣れ”ていくことを周りは喜んでくれていたし、それで僕は認められたような気がしていた。
だけどふと、自分の足元を見た時に、重たい黒い疑問がよぎった。
僕はこの先も、この道を歩き続けたいのか?
このままこの靴を履き続けていいのか?
残像は、本当に残像だったのか?
この“慣れ”の先に、僕はどうきて生きているんだ?どう生きていきたいんだ?
僕が求めていたものは?
誰かに聞いても、答えてもらったとしても、答えが無いこの疑問に、しばらく道を歩きながら僕は僕に質問をし続けた。
右、左と順番にステップを踏むそれらを眺めながら、僕は“慣れ”た世界を進み続けていた。靴の底が剥げてきた事に気が付き、はっと足を止めて顔を上げた。
残像は、残像のまま静止していた。
躍り狂うあの一瞬の光は、その形のまま、ただ、僕の歩いてきた道の景色として、そこにいた。
触ろうとしても届かない、ただ見ることしかできない、見てもはっきりとは見えないこの残像を見て僕は、僕が探していたものに気が付いた。
いや、思い出しただけなのかもしれない。
僕はここまで歩いてきた自分の足元を見た。
靴はもうボロボロだった。靴下にも穴が空いている。
もう僕はこれ以上、歩けない。
そう、言われた気がした。
僕は膝から泣き崩れた。
静かに佇む残像に手を伸ばしても、届きはしなかった。僕はその残像を抱きしめるかのように、めいいっぱい僕を抱きしめた。そして泣いた。
おいおいと泣いた。枯れるほど泣いた。次第に涙は川となり、それでも涙は止まらなくて、僕は自分の涙に流されていった。
残像がだんだん遠のいて行くのを見ながら、僕は僕に流されて、やがで涙の中へ溺れていった。
気がつくと、見慣れた木目と目が合った。
ハッ、ハァッと荒い呼吸をしていた。
しばらくの間、天井と見つめ合っていた。
夢だったのだ。むくりと上半身を起こして、呼吸を整える。
ふと、足元を見た。靴を履いていた。
覚えていない昨夜を必死に思い出そうとしたが、無理だった。
ただ、靴を脱がずにベットに倒れ込むほどベロベロに酔っ払っていたということだけは理解できた。
靴を脱ぎ、玄関に投げ捨てる。
飲みかけのペットボトルを拾い上げ、缶ビールの空き缶で散らかったベランダに出た。
空は、朝陽を待っていた。
ゴクリ、と、ひと口水を飲んだ。
ひんやりとした空気が、頬を包んだ。
それは、遠い昔の記憶にいる母親の手の様だった。
じゃぶ、と水を傾けた。それをぼんやりと見つめる。頭は冴えていた。
そして。ゆっくり、ゆっくりと、ペットボトルの中に、朝陽が差し込んだ。
太陽を捕らえた水を、ぼくはゴクゴクと体へ流し込んだ。
唇を拭う。
空は、もう朝だ。
「やってやる。」
空になったペットボトルを片手に、
僕は決心したのだった。
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