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日々徒然草1 たいへんだー

「たいへんだ」


洗濯物をたたみながら、明日以降の予定を思い出していたら、ふと
「たいへんだー!」

何が大変だ?

明後日息子の友達が泊まりに来ることを思い出して、思わず「たいへんだー」って

その時、この私の「たいへんだー」を主人に伝えるとしたら、というシュミレーションをしてみた

仕事でもっと難しい「たいへんだ」なシチュエーションにいる主人に、私のこの「たいへんだー」が伝わるはずはないと、少し考えてみた

だから伝えなかったけど

でも、私にとっては「たいへん」なのである

私も仕事で難しい「たいへん」なんてあるし、息子の友達が泊まりに来ることも、同じく「たいへん」なのである

「たいへん」と思うことについて、思いを馳せてみたら

「たいへんだー」と思うことって、私の中では沢山あって
しかも、大小の区別がないかもって気が付いた

たかだが、息子の友達一人が泊まりに来ることと、仕事で神頼みするくらい成果にやきもきしてうなる事も、同じ「たいへんだ」なのである

で、じゃあ大小がない「たいへんだ」って何だろう?

なんで「たいへんだ」ってそもそも湧き上がるんだろう


「イレギュラーな事」

「たいへんだ」と思った、今までのシチュエーションをいくつか考えてみた
・洗濯物がいつもより多い
・朝少し早起きしてお弁当作る
・頑張って治療したけれど、結果がまだわからない
・明日までに提出のレポートがある
・初めての方法で治療する
・子供がまだ寝ない
・子供の成績が思っていたのと違う
・読めない仕事全般諸々
・疲れて帰ってきて、ごはん作らなきゃいけないシチュエーション。。。。。。。。。

もっともっとあるけれど

どれもこれも
頭を使わない、慣れた習慣、リズムからちょっとでも外れた事

に対して、すべて「たいへんだ」

だった

<脳>
〇狭義な視野
〇変わらない
〇ネガティブを予想する(未来は不安、過去は後悔)

ざっくりだけど、まとめるとこのような大きな特性が脳にはある

大前提として、脳は大飯ぐらいで、維持するだけで体の20%前後のカロリーを使うため、なるべく疲れないとように、楽しようとする特性がある

まあ、筋肉もそうだけど

疲れることは、エネルギーをやたら消費することで、生命の消費を早める行為なため、体は推奨しないってところでしょう

だから、少しでも疲れること=イレギュラーな事=止めに入る→なぜならば

「生命を脅かされる危機」

となるんだろう

「主人がいつも、スタッフの問題たいへんだ!!!!」と深刻そうに言っていることも、私が洗濯物多くて「たいへんだ」と言っていることも、脳としては同じ「たいへんだ」であり、どちらも生命の危機を感じる事である

つまり、どんな大変な事が起きても、そんなに大変ではないと思われることが起きても、体にとって生命の危機を感じている

だから、不安やネガティブ、狭い視野で重箱の隅をつつくような考察になって、エネルギーの消費を抑えて、あまり動かなくしようとするのは当然の反応なのだろう

ここで大事なのは、「たいへんだ」に対しての「解釈」の話をしてはいないというところ

解釈は人それぞれあるので、解釈の仕方で気持ちの大小はあるのは至極当然で、そこに焦点が当たってしまって、事実と解釈と行動がわけて考えられなくなるのも当然

なんなら解釈だけに振り回されるのもよくあるある

でも、「たいへん」を細分化して考えてみると

人間の体、特に脳の反応としては

イレギュラーな事=生命を脅かす危険なもの=「たいへん」

な事なのである

そこには個人の間の差はなく、等しく「たいへん」で「拒絶したい」事なのだ

と思ったら

なんだか

「たいへんだー」が客観視できるように少しなれた

主人の「仕事場で人の顔色伺い、心底神経すり減らしてたいへんだー」も
私の「子供の友達が泊まりに来るからたいへんだー」も

どちらも優劣はなく

主人に気兼ねして

私ばかり苦労してなくて、主人の大変さを自分事として受け止められなくて申し訳ない
たかだか、洗濯物がーとか、友達がーとかおこがましすぎる

なんて、解釈しなくていいんだな~

って

少し楽になれたよーーーーーーーーー

脳にとっては、どっちもイレギュラー認識な出来事だから

優劣はない!


っていうか、ぼそっと言うけど

あいつ、深刻そうにいつも「自分は大変だ」「苦労している」いいすぎなんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それもこれも、自分の許容できる「当たり前」な環境設定が狭いんだろうね

それは人間なので、個人差があり、そういう大きさの人なのだと良いも悪いも全くなく、対私としては認識していくべきものなのだろう

例えば、ホニャチャラにいる外人だからね~とか思えば許容できるのに、下手に日本人だし、言葉通じるし、十数年一緒にいるし、好み知ってるし。。。。

ってなんか共通している事あって、言ってしまえば、自分の一部的なとんだ錯覚まで勝手に思っちゃっているのも

ほーーーーーーんとかんちがいもはなはだいいよね

って自分に言ってあげないと、
ついつい「あいつめ!」になってしまう

そこからが許容の始まり~かもね

ってなんだか、悟った日でした

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