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令和のインターネットへの嫉妬と葛藤

私は、いわゆる「オタク」ではなく、「インターネット文化オタク」だ。特に、黎明期の日本のインターネット文化に強い愛着を持っている。

あの頃、インターネットは限られた人々だけが共有する特別な場所であり、その中で孤高に趣味を追求することができた。

しかし、インターネットの発展によりオタク文化が変容し、現代では他人と自分を比較せざるを得ない状況が生まれてしまった。

インターネット黎明期の美学

黎明期のインターネットでは、限られた掲示板やIRCチャンネルがオタクたちの主な交流の場であった。私もその一員として、夜な夜な情報交換を楽しんでいた。

ひろゆきさまさまである

当時のインターネットは、まだ一般には知られておらず、同じ趣味を持つ者同士で秘密を共有するような感覚があった。

そこでは、他人との比較や嫉妬はなく、ただ純粋に趣味に没頭できる場所だった。

ネットの発展とオタク文化の変容

しかし、インターネットが一般に普及すると、状況は一変した。

SNSやブログ、動画共有サイトが登場し、誰もが簡単に情報を発信できるようになった。

それと同時に、オタク文化も大衆化し、趣味を共有するコミュニティが急速に拡大した。

「草」「w」が、今まであちら側の世界だと思っていた人種との共通語になってしまった時、私は愕然としてしまった。

これにより、インターネット上で他人の活動や成果が目に入る機会が増え、自然と他人と自分を比較するようになってしまった。

特に、見た目に関することが問題だった。

かつてのオタクたちは外見にこだわることなく、自分の趣味に集中していた。

しかし、現代のオタクたちはSNSに顔を出すことも多く、外見の洗練も求められるようになった。

私もまた、インターネット黎明期のオタクであったが故に、こうした変化を強く感じる。

かつては他人と比べることなく、ただ趣味を楽しむことができたが、今ではネット上の情報の洪水の中で、自分が遅れているような感覚に悩まされることがある。

現代のオタクが抱える嫉妬と葛藤

現代のインターネットオタクが直面する問題の一つに、他人との比較がある。

ネット上では、他人のコレクションや趣味の成果が簡単に目に入るため、どうしても自分と比較してしまう。

かつての孤高な楽しみが、他人と比較することで色褪せてしまう瞬間がある。

さらに、インターネットがもたらした変化は外見だけに留まらない。

オタク文化そのものが洗練され、大衆化したことで、かつての孤高な美学が失われつつある。

この変化に対して、かつての姿を取り戻したいと感じることも少なくない。

孤高のオタクを取り戻すために

では、現代のインターネットオタクが、かつての孤高な美学を取り戻すためにはどうすれば良いのだろうか?

まず、自分がなぜその趣味を始めたのか、その原点に立ち戻ることが重要だ。

他人との競争や比較ではなく、純粋な興味や楽しみから始まったものであることを再確認する必要がある。

また、インターネットから距離を置くことも一つの方法だ。

SNSやフォーラムから離れ、自分自身の時間を楽しむことで、他人の目を気にせず、孤高に趣味を追求することができる。

リアルな世界で、自分だけのペースで趣味を楽しむことが、かつての美学を再発見する鍵となるだろう。(まあ、それができないからインターネットに引きこもったのだが…)

最後に

インターネットの発展は、オタク文化に大きな変化をもたらした。

私のようなインターネットオタクにとって、他人との比較や嫉妬心が増える一方で、かつての孤高な美学を取り戻したいという思いが強くなっている。

しかし、今こそ自分自身の趣味に対する姿勢を見直し、純粋に楽しむ姿勢を取り戻すことが必要だ。

インターネットという便利なツールを上手に活用しつつ、自分だけのペースで趣味を楽しむことが、現代のインターネットオタクにとっての新しい美学になるのかもしれない。

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