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Fラン芸大に進学してみた。

18歳の私は、自称進学校で「最下位」をキープしていた。

落ちこぼれというやつだ。

入学当初はそこそこ成績が良かったが、あっという間にやる気はどこかへ吹っ飛んでいった。

周りには、まるで勉強が生まれつきできるかのような人たちがゴロゴロ。どれだけ頑張っても、彼らには到底追いつけない。

こんな環境で成績が上がるわけがない。

結局、サボりにサボり、高校生活の終盤には出席日数が足りなくなるという、留年の危機にまで追い詰められた。

それでも何とか学校に通っていたのは、クラスにいた推しの男子のおかげ。

いや、彼と話すために学校へ行っていたと言っても過言ではない。

勉強へのやる気はゼロだが、その男子と話すためだけに、なんとか出席日数を稼いでいた。

「とりあえず行ける大学」を探す

周りが「センター試験だ〜」と浮かれている頃、私は完全に取り残されていた。

親は学歴主義で、「なんとしても大学へ行け」とプレッシャーをかけてくるが、私の成績でそんな簡単に受かるわけがない。

かといって私の頭でも受かりそうな私立大学のオープンキャンパスに行ってみると、やたらと派手な雰囲気で、キラキラしているリア充ばかり。

「こんなところでやっていけるかよ」と、インキャの私は一瞬で拒絶反応。

どこにも居場所が見つからないと思っていた矢先、偶然見つけたのが芸術大学だった。

芸大との出会い。一発芸入試に挑戦

芸術大学のAO入試の条件を見て驚いた。

デッサンの技術も不要、ビジネスデザイン思考を学ぶという変わった学科がある。

たまたま1つ上の仲良かった先輩が進学していたので、話を聞いてみると、先輩は少年漫画を描いて受かったらしい。

「一発芸」で入学できる大学。

いいじゃんそれということで、興味本位でオープンキャンパスに足を運んでみた。

キャンパスに入ると、まず目に飛び込んできたのは、可愛いロリータファッションを着こなす高貴な女の子。

しかも、周りは誰もそれを気にしていない。

まるで下妻物語の世界そのもの。

また、その大学生らしいキャピキャピした空気のない、良い意味でドヨーンとした感じが私には魅力的に写り、この世界観なら生きていけそうと初めて思った。

しかし、AO入試には「何か成果物が必要」ということで、焦りが出てきた。

高校にろくに行っていなかった私がやっていたことといえば、ガラケーで当時流行っていたホムペのテンプレートを大量生産していたことくらいだ。(ちなみにギャル部門で全国1位を獲得した)

とはいえ当時の私には誇れることでもなかったので、なんでもいいからなんか作ろうということで映像作品を一本撮って県のコンテストで賞を取った。

こういった田舎のコンテストみたいなものは学生に甘いのは知っていたので目論見通りであった。

その賞金で新たに一眼レフを購入し、当時はガンガン撮影していた。

AO入試は面接のみ一本勝負だったため、ポートフォリオを持ち込んで、一連の流れをプレゼンすると、なんと受かってしまった。

こんなんでいいのか??と思いつつも、とりあえず進学。

授業は楽しいが、心の棘を抱えた人たち

芸大に合格し、いざキャンパスライフがスタート。

授業は楽しく、何より周りの奇抜なファッションや表現に圧倒されながらも、それが日常になっていく。

大学で芸術系に進んでみると、同じように孤独を愛する同士達が多くいた。それぞれ好き好んで1人でご飯を食べていたりして、「みんなひとりぼっち」の環境に、やっと心地の良さを覚えた。

いじめられっ子年表

だが、一方で多くの学生が心の内に何かしらの闇を抱えているのも感じた。

特に、自分の腕に傷をつける「リストカット」をしている友人たちが目に留まった。

彼らの中には、自分自身に対する怒りや葛藤をアートで表現する一方、それが自分を傷つける方向に向かってしまう人も少なくなかった。

特に、素晴らしい作品を作る人ほど心の中で何かしらの苦しみを抱えていたようだ。

芸術大学のリアルな就活事情

卒業が近づくと、それまで自由にアートを追いかけていた学生たちが一気に「現実」を突きつけられる。

就活シーズンが到来し、カラフルだった学生たちが葬式のような黒いスーツに身を包む光景は、何とも言えない寂しさを感じさせた。

特に、ファインアートを専攻していた学生たちは、就職の道が極端に狭い。

夢を追い続けた者たちが、「社会に飲み込まれるか、それとも放り出されるか」という二択に立たされるのだ。

ファイン系の学生たちが仕方なくスーツを着ているのは胸が痛かった。

私もビジネス系の学科に進んでいたとはいえ、そのリアルな現実に直面せざるを得なかった。が、なんとか新卒の席をもぎ取った。

そこから間も無くして怒涛の卒業制作がやってきて、あっという間に卒業式。

正直なところ、卒業してから画家をやっている人というのは実家が太いもしくは芸術家系の人たちだけで、コンプレックスから成り上がって今も芸術を続けられている人を私は知らない。

Fラン芸大というのはそういうところだ。

散々夢を見て、もしかしたら行けるかも知れないと思って、でも。

「大学なんて、ただの通過点」

私もいろんな夢を見させられた。

今の生活には十分満足しているが、あの頃思い描いていたものからは少し外れた。

しかし進んだ先から分岐して新しい夢が見えたりもする。

正直、今は私がどこの大学を出たとか関係ないところに将来が見える。

「ああ、大学生だったこともあったんだ」ぐらい。

それくらい今は今の仕事に必死で、自分のための勉強が楽しいと思える。

当時抱えていたコンプレックスのようなものは薄れて、自分が生きやすい環境を自分で作っている感覚だ。

これまでの過程があったからとは思うが、先を見ていたら過去は関係ないのかも知れない。


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