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音楽を聞かなくなった理由

最近、気がついたことがある。

それは、音楽をほとんど聞かなくなったということだ。

仕事漬けの毎日で、ゆっくり音楽を噛み砕く余裕がなくなってしまったのかもしれない。

以前はあんなに熱中していたのに、今は頭を使わずに流せる簡単なBGMくらいしか耳に入らない。

昔、TSUTAYAに行ってはCDを手に取って、片っ端からディグるのが趣味だったあの頃が嘘のようだ。

10年も前、サブスクがまだ主流でなかった頃は、音楽を探す過程そのものが冒険だった。

TSUTAYAの棚を端から端まで眺め、知らないアーティストやジャンルを探して試してみる、その行為が何とも言えない楽しみだった。

そしてそのアルバムにじっくり向き合い、何度も繰り返し聴いては、その音楽が持つ世界観を少しずつ理解していく。

このプロセスには時間もエネルギーもかかったが、その分、見つけた音楽との繋がりが深かった。

だが、今はサブスクリプションサービスが普及し、無限に音楽が手軽に聴ける時代になった。

どんなアルバムでもワンクリックで再生でき、何百曲でもプレイリストに追加できる。

まるで無限の選択肢が目の前に広がっているような感覚だが、逆にそれが「音楽を探す冒険」を奪ってしまった気がする。

選択肢が多すぎると、逆に一つ一つの作品に対して深く向き合う時間がなくなってしまうのだ。

もちろん、サブスクにはサブスクの良さがある。

好きなアーティストの新作がリリースされたらすぐに聴けるし、気分に合った音楽をすぐに見つけられる。

だが、その手軽さが、かえって音楽との繋がりを浅くしてしまっている気がしてならない。

以前は、CDジャケットのデザインを見ながら「あ、このアーティスト面白そうだな」と直感で選んでいた。それが意外にも自分にドンピシャだったり、逆に全然合わなくて落胆したり、その不確実性も含めて楽しかった。

今では、アルゴリズムに基づいて「あなたへのおすすめ」が自動で表示され、確かに外れは少ないかもしれないが、その分、自分自身の感性で音楽を選ぶ機会が減っているように感じる。

もしかしたら、仕事に追われる生活の中で、脳も単純なものを求めているのかもしれない。

深く考えなくても楽しめる音楽や、背景音として流しておけるBGMがちょうどいいのだろう。

それでも、たまに思い出すのは、昔の自分が時間をかけて探した一曲一曲に感じていた情熱だ。

また音楽にじっくり向き合う時間が作れたら、あの頃のようにディグる楽しさを再発見できるかもしれない。

サブスクの便利さを活かしつつも、自分で選び、聴き込む楽しみを忘れないようにしたい。

やっぱり、音楽はその背景やストーリーを感じてこそ、心に響くのだから。

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