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愛とマズローの欲求

人生、愛こそほぼ全てだ
愛は、貧乏以外の全てを越える

僕の好きな作家さん、北村薫さんの著作「飲めば都」からの引用です。
お酒がテーマのカジュアルで軽快な小説だったと記憶しています。

「愛が全て」とか「最後に愛が勝つ」とか、愛について、その強さが物語や歌でしばしば語られます。
僕もそうであって欲しいと思っています。
北村さんもきっと同じだと思います(多分)。
が、人生のそれなりに短くない時間を過ごしていると、「まぁ…、でもね…」といった含みも付け足したい気持ちを、心のどこかに感じてしまうのが今の人の世だと思うのです。
そこら辺の微妙なモヤモヤを、北村さんは文章にされているように思います。

「愛こそほぼ全て。しかし貧乏は手強い。」

現代社会における人の、人の世の本質を突いている気がするのです。
マズローの5段階欲求という説があります。
人間の欲求は低レベルから高レベルに5つの段階があるという考え方です。
低い方から
「生理的欲求」
「安全の欲求」
「社会的欲求」
「承認欲求」
「自己実現の欲求」
です。
低い層の欲求を満たせないと、高い層へと軸足を進められない、というのが乱暴かもしれませんが基本ルールと僕は解釈しています。
「愛」という事象は、マズローの欲求の5つのうち、複数にまたがって欲求を満たしてくれる存在だと思います。
「貧乏」という事象は、人の根源的な欲である食欲とかを満たしたい「生理的欲求」、危険から身を守りたい「安全欲求」にダイレクトに効く存在だと思います。
だから、「愛」はある、しかし「貧乏」というシチュエーションでは、「貧乏」の解消の方が「愛」より優先されてしまうのも、仕方のないことに感じます。
二者択一を迫られたとした時に、「愛」を優先し「貧乏」を受け入れると、自分だけではなく愛する相手にも「生理的欲求」や「安全欲求」の満たされない環境を強いるとう矛盾にさらされる、という事態にもなりそうです。
人の世が高度化し、資本主義が定着している今なので、尚更、冒頭の言葉には納得させられます。
いつか、ポスト資本主義の社会が到来し、「貧乏」という観念に変革が起きる世界が実現したら、
「愛が全て」
と声高に宣言できる世界が、ようやく到来するのかもしれませんね。



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