「強さ」と「優しさ」
レイモンド・チャンドラーの小説「プレイバック」に登場する私立探偵の、「男性に求められること」についてのセリフだそうです。
僕はこの小説を読んだことがないのですが、かなり前に自動車雑誌の何かの自動車の論評に引用されていたのを不思議と覚えています。
何の車種の論評だったのか、覚えていないのが残念です。
さて、この引用は男性の理想像を表現しているみたいですが、男性に限定されない人の理想像にも感じられます。
性別に関係なく、「強さ」と「優しさ」は共に大事ですよね。
「強さ」には、剛腕だけを示しているわけでなく、メンタルの部分、計画力や思考力、したたかさや、挑戦する行動力や、復元力(レジリエンス)とかも含まれていると思うのです。
これって、性別や年齢を限定しなくても良い人に求められる条件だと思います。
経営の勉強をしていてもこういう話を聴くことがあります。
あるべき会社の姿にも、このセリフがオーバーラップします。
会社には利益を作り出す「強さ」が必要ですが、従業員に対して、あるいはすべての利害関係者(ステークホルダー)に対する「優しさ」も必要だからです。
①素晴らしい黒字企業で給料は良いけど、厳しいタスクとハードワークで従業員はくたくたにくたびれている
②赤字が続いている企業で安い給料に増える兆しはないが、従業員はみんな仲良しで笑顔が絶えない
①も②もどっちも厳しいと思います。
短期決戦なら「強さ」に全振りした①でも良いのかもしれませんが、きっと息が続かないはずです。
一方で「優しさ」に全振りした②では、ゆるゆるの組織、仲良しグループになるので、やはり物にはならないでしょう。
ボランティア活動が長続きしにくいのは、②に偏りすぎた結果のように思います。
個人や会社だけでなく、地域、業界、自治体、国といった、規模に関係なく必要なのが「強さ」と「優しさ」なのかなと思います。
時には①に寄り、時には②に寄りと、「強さ」と「優しさ」がバランスさせられる二刀流の使い手を目指したいものです。