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長所と短所と社会での幸せ

長所はそれを持って生まれなかった人を助けるためにある
短所はそれを持って生まれた人に助けてもらうためにある

作家、喜多川泰さんの言葉です。
以前、お友だちが教えてくれたものですが、元は喜多川さんのメルマガからの引用です。
喜多川さんは次のように繋げられています。

少ない長所で十分社会では生きていけるし、たくさんの短所があることでたくさんの人と繋がることができる。
完璧じゃなくても、万能じゃなくても、社会では幸せになれる。
短所という「凹」がたくさんあるから、その部分が「凸」の人とたくさん仲良くなれる。
そういう人の方が社会では幸せだ。
だから指導者は「長所伸展」を何よりも大切にしなければならない。

一人の親として、組織に属する社会人として、僕自身が忘れてしまいがちなことと感じます。
短所は恥ずべきもの。
できるだけなくすか、あるいは隠すのが正しいという観念…。
この文章には更に続きがあり、喜多川さんは"自利利他"の視点で語られています。

ところが、親や指導者がまず考えることは
・長所はそれを上手に自分のために使えば金持ちになれる
・短所はできるだけ無くしていかなければ嫌われて不幸になる
 (略)
だから、子どもたちにも伝えたい。
「長所はそれを持って生まれなかった人のものだよ。だから君はもっと磨きをかけていかなければならないんだ。君が長所を伸ばすことで、これまで助けられなかった人を助けられるようになるんだから。一方で、短所はそれを持っている人と仲良くなるために君にあるものだよ。だからできないことは上手に助けてもらえる人になりな。どちらも上手な使い方を学べよ。」

優しい視点だなと思います。
「甘い」ではなくて「優しい」。
「優しさ」の中には、生きていくために必要な「厳しさ」もあるように見えます。
すべての人がギブ・アンド・テイクで繋がる関係は理想的な社会だと思います。
資本主義の次、ポスト資本主義の社会がどんな価値観の社会なのか、まだわかりませんが、援助と感謝で人と人が繋がる社会であって欲しいなぁ。
喜多川さんは最後にこう締めくくっています。

「短所と長所って言葉じゃなく、凸と凹って言えばどっちも必要だってわかるかもね」

そうなのですよね。
あらゆるものを数値化することが正義とされがちですが、人はそれだけではないですから。
仮に自分の中にマイナス評価の何かがあっても、マイナス評価が故に生まれるプラスの何かもあるように思うのです。

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