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【読書記録】運転者 / 喜多川泰

『心に浮かんだ、大切に想う人たちに贈りたくなる本』

この本を読み終えて色んな感情を味わっていたら
そういう気持ちが湧いてきました。

そんなわたしの言葉摂取記録を
綴っていこうと思います。

あらすじ

保険営業をしている修一は顧客の大量解約で窮地に
「なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだよ」
と独り言がこぼれたとき乗客の「運」を「転」ずる不思議なタクシーと出会う。

運転者 本書帯より抜粋

ポジティブ、前向き、機嫌よく過ごす。
わたしはそういう言葉が苦手だ。

苦手?

違うな、自分の調子の良し悪しで
受容出来るキャパが変わるんだ。

30代も後半にもう間もなく足を突っ込みそうなのに
いまだにそんなところで自分の未熟さに
打ちのめされたりしているのだ。

そしてそれを体現出来ている人も知っていて
前向きで機嫌よく過ごした方が良いって
分かっているのになんでわたしはそういう風に
出来ないんだろうか。なんて拗らせた自責も
もう100万回くらい繰り返してきた。

だけどこの小説はそんなわたしの概念を
根本からひっくり返してくれたように思う。

というか、今までの色んな体験を経て
それもあって腑に落ちたという感覚。

言葉にはさ、良くも悪くも力があると
ずっと思っていて人を救うこともあれば
傷付けることもある。

一番厄介なのは傷付けるつもりなんかないのに
無意識に傷付けてしまうこと。
でもそこに恐れ過ぎると言葉を発することが
出来なくなってしまうから難しい。

そしてそれは悪意のある言葉だけに
限った事ではなくて前向きな言葉にも
それはあると思う。

受け入れられるタイミングと、
受け入れられないタイミングが。

言葉の意味は一人ひとり、
定義が違うから正解なんてない。

だけどわたしの周りに居る人たちは
いつも一生懸命生きている人たちが多い。

その人たちが優しい人たちだって事も知ってる。

笑顔の後ろ側で人知れず歯を食いしばって
過ごすような日もある人たちなんだと思う。

その人たちを想うと、
この本を読んでみて欲しいなって思うんだよね。

それと同時に贈り物の難しさも懸念していて
誰かに何か贈り物をしたいなと思うときに
脳裏によぎるのは、
星野源さんの贈り物というエッセイ。

ーものを贈るという行為は間違っても
「相手のため」だとか、
善き行為だと思ってはいけない。
全てにおいて自己満足であると考えた方が良い。

ーだから善き行為とは決して思わず、
むしろ贈り物をするなら
「なぜ贈るかって自分が贈りたいと思うからで、
相手の気持ちなんか知らねぇよ」
という反社会的贈り物人間として
【贈りつけ】の精神を持つことが大事だ。

結局、相手が嬉しいと思うかどうかなんて
永遠にわからないし渡した後の「ありがとう」が
本音かどうかだってわからない。
というかどうでもいい。

普段から本音で話せる親密な相手だとしても、
物を贈られて嬉しくなかった時、
その気持ちを率直に伝えられる人が
どれだけいるだろう。
どんなに心を込めても相手が喜ぶ
という確証はなく、
贈りつけてしまうことに変わりはないのだ。


ーそんな希林さんは最高だし非常に憧れるが、
私は欲しいものがもらえたら
一発で喜んでしまうし、
贈り物も割としたいタイプなので、
せめて相手のためなどとは決して思わず、
己の野蛮さを常に意識し
「贈り物はするが渡した時点で終了で、
その品を相手が喜ぼうが捨てようが
売ろうが関係ないしまったく気にしない。
その代わり、私がもらったものも
わたしがどうしようと勝手で
何を言われる筋合いもないさ」

という精神で生きようと思っている。

いのちの車窓から2 / 星野源
P.222「贈り物」より一部抜粋

運転者の読書記録なのに随分たっぷりと
源さんのエッセイを抜粋してしまったなと思うけど
でも本当にその通りだなって思ったんだよね。

あと、運転者の中で相手に興味をもつのが
何で大事なのかを話しているところがあって
それは贈り物にも通ずるところが
あるんじゃないかと思った。

相手が何が好きか嫌いかとか
欲しがっているかとかもそうだけど
そもそも贈り物を貰うことを嫌がる人もいる。

エッセイに出ている樹木希林さんも
生前、その姿勢を一貫していたようだし。

でもそれって有名人に限らず
少し相手に興味を持ったら
分かる可能性の高いことで
そういう配慮もできる人になりたいと思いながら、

わたしも贈り物するの好きなタイプなので
源さんの精神真似させて頂こうと思って
明日早速久しぶりに会う友達がいるので
その人にこの本を贈ろうと思っています🤭📖

それではまた明日🌷

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