適応障害と、会社を辞めないという選択肢について⑩今の状況編
こんにちは。
富永晶子(トミナガアキコ)です。
基本、舌は火傷で痛めてます。
2019年12月、1ヶ月の休職を終え、
臨床開発モニターとして復帰しました。
①はこちら⬇︎〜お仕事紹介編〜
https://note.com/a___omo_a/n/ncfa1c2a4160a
②はこちら⬇︎〜診断直前の業務編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n90ea56f2ae83
③はこちら⬇︎〜体調不良編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n0448a019ee8d
④はこちら⬇︎〜狛犬からの言葉編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nf308e3e4ec6c
⑤はこちら⬇︎〜いざ、精神科へ編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nec8b57ee68f8
⑥はこちら⬇︎〜休みます宣言編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nd7ba63d44a37
⑦はこちら⬇︎〜会社は辞めない編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n1759a661278a
⑧はこちら⬇︎〜会社は辞めない編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nace90456d135
⑨はこちら⬇︎〜会社は辞めない編〜
https://note.com/a___omo_a/n/naa10cd3b29a2
新しいプロジェクトに配属され、4つの医療機関を担当することになりました。
前任から丁寧で、適切な引き継ぎを受けました。
最初はとても、緊張しましたが、⑨にも記載した通り、仕事に対する姿勢を変えたことで、
のびのびと仕事ができるようになりました。
私たち臨床開発モニターファーストで考えてくれるリーダーと優しい女性の上司の元で働かせてもらうことができました。
元々、良い人が集まった会社ではあったので、
休職前の般若がリーダーのプロジェクトは、
本当に巡り合わせが悪かったのでしょう。
般若のプロジェクトでは、私以外で、
4名の方が会社を辞めました。
私の前任も休職後、結局そのまま辞めていました。
新しいプロジェクトは、かなり落ち着いたプロジェクトで、仕事量はピークの1/3、もしくはそれ以下になっていました。
同じ会社で、やたら早くに帰宅できている人がいるな〜とはなんとなく知っていましたが、
みなさんこんな仕事量だったのかと初めて知りました。
時間に余裕もあるから、丁寧な仕事ができるし、定時に仕事はしっかり終わるし、
いたれにつくせりでした。
窓際社員のような扱いでもありません。
いち、臨床開発モニターとして、
普通に仕事を任されています。
新入社員のチューターもしました。
月に4.5回は出張に行っています。
プロジェクト内の小さな賞もいただきました。
ほんのわずかですが、最近、昇給もしました。
「日頃、富永さんにはしっかりと業務をこなしてくれているので、その分を昇給という形で示さないと。会社としては必要な方なのでね。
休職したことは、別にマイナスにもなってないですよ。」
と今の女性の上司は私に言ってくれました。
復帰後すぐにコロナがやってきて、
不況により、人員削減という名の
大規模リストラを会社は行うようになりました。
その中でも、私はまだ会社にいます。
いれてます。
今思うのは、努力した時と、評価される時は、
必ずしも一致せず、
時間的にはズレがあるということです。
こんな少ない仕事量しかしてないんだから、
150%の完成度で仕上げるのは当たり前で、
それで評価されて良いものかと、
不安になることもありますが、
休職前の分も含めて、今、評価されていると
認識するようにしています。
今の自分を救うのは、いつだって
過去の自分です。
あそこで、辞めてたら、
私は今も怒りの感情と会社への恨みを持ち続けていたかもしれません。
正の感情の世界に、たどり着けてよかったです。
私の会社は、みなさんお若いです。
前の上司の狛犬も35歳くらいです。
なので、一般的な会社より、柔軟な考え方をもってる傾向はあります。コロナの全然前から在宅勤務okでしたし、女性の管理職の割合も半々くらいではないでしょうか。
ママさんワーカーも時短勤務でたくさん働いてます。
なので、会社全体としては、かなり働きやすいところだと思います。お給料もそれなりに良いです。休職前までは、めちゃくちゃめちゃくちゃの激務でしたが、私のスキルも上がってきたのと、担当のプロジェクトによって、
忙しさが異なるので、それも含めてお給料に見合うそれなりのお仕事であると、思います。
そういった会社のことを4年いて分かっていたからこそ、辞めるという決断ができなかったのもあります。
私には家の20年ローンもありましたしね。
たまたま私の任された業務がタイミング的に
大変だったため、一時の感情でおかしくなっていると判断し、父は辞めてはいけないと、
助言したのでしょう。
これは、私個人の経験であって、
再現性も汎用性もないかもしれないです。
ただ、誰しもが心の病気にかかる可能性はあります。私自身、私が!?って思いました。
その時に、正常な判断なんて、できません。
なので、正しくなってから、判断を下すことでも私は遅くはないと思います。
会社を辞めるのは、いつでも辞められます。
可能性をすべて試してみて、ダメだったら、
また次の場所を探せば良いと思います。
優秀な方ほど、大変な業務を任されるものです。
人生は、スポットの幸福度では測れません。
結局は死ぬまでの総合点なのですから、
その時その時はしんどくても、
いつか、不幸を相殺してくれるくらいの幸せはやってきます。
というか、幸せがやってくるように、
人生の流れを自分で変えないといけないといけないと思います。
私がその流れを変えることができたのは、
自分ができないことを認めることができた時、
だったと思います。
あそこから、新たな自分がスタートできたと思います。
正の世界にたどり着けてよかった!
ありがとう、父親!
いつか、私が管理職になったとき、
部下の子たちに、そんな経験談を笑って話せてあげれれば、
もっと働きやすい会社になると信じて、
今は精進していく所存です。
ドラえもんの道具で、頑張ってる人探知機〜♪
みたいなのがあって、オンタイムで頑張りを評価してもらえればいいんですけどね。
人生そう、うまくいかんもんです。
AIでそんなことまで、できちゃうかもですけどね。それはそれで怖いなと思う次第です。
長々と読んでいただきありがとうございました。
おわりです。