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素敵やないか


朝から、ぷくぷくのクッキーを姉の家に届けに行った。ぷくぷくのクッキーについてはこちら↓


「私は家におらんけど、◯◯(息子の名前)はおるから!」と姉に言われていた。
姉と私は9つ歳が離れているので、甥っ子はもう中学2年生だ。甥っ子は、初孫ということもあり、
家族中からめちゃくちゃかわいがられて、
実際ものすごくかわいかった。
もちもちのマスコットみたいな体型でよちよち歩いては、家族みんな平等に笑顔を振りまいていた。
“あっこしゃん!!”と、私に向かってくるのを、わーっと向かえて抱っこした記憶なんて、鮮明だ。
ただ、同時に落武者みたいになった姉が、乳をやっているような姿もまた鮮明に覚えている。

今や、甥っ子は、身長170cm近くなり、にきびも、ちらほら頬にできている。よちよちどころか、野球部でガンガン、バッドを振ったり、走ったりしている。思春期真っ只中ということで、私に敬語で話す。
ただ、私にジャンプ+を教えてくれたり、妹のバレエの発表会を観にきたり、心優しい青年にすくすく育っている。
ぷくぷくのクッキーを渡して、
「夏休み中にごめんね!ありがとう!これ中身クッキーやから、開けて食べてもいいからね」と伝えると、あざ、す、と俯き加減の目で私に返事した。


帰りに珈琲豆とみたらし団子とお昼ごはんを買って、帰った。
君たちはどう生きるかの小説も本屋さんで買った。

お昼ご飯は、お肉屋さんのお惣菜を買ったので、
ものすごく豪華になった。
外で食べるよりは、断然安いのに、めちゃくちゃ美味しかった。


豪華〜

甥っ子から、クッキー美味しかったと返信が来た。わざわざ感想を伝えるなんて、まめな子だわ。

日中は、洗濯したり、掃除したり、NHKオンデマンドで、恋せぬふたり、神谷美恵子さんの生きがいについての100分de名著をみたり過ごした。

「待つという行為により、自らの創造性が失われることはない」という言葉が心に残った。
3年前に適応障害になったときに、
「辛かったら逃げていい」という言葉を、よくネット等でみたのだけど、逃げるというと、なにかネガティブな印象を与えるし、私が悪いことをして、逃げたみたいになるのが、あまり解せなかった。
逃げるを、待つに変換すると、何か救われるような気がした。 

待つ間、創造性は失われない。
そう、そうなのだ。
精神的にしんどいとき、休まざるを得ないのだけど、何もしていない方が辛いこともある。今は休むことが私の仕事だと思っても、何もしていない、生産性のない活動を行っている自分を認識してしまい、ストレスになる。
うつ病の治験をしているときに読んでいたカルテでも、同じようなことを訴えている方もいた。タイムスリップして、その方にこの言葉をかけることが出来たなら、と思う。(私の仕事は患者さんとの接触は絶対やっちゃダメなのだけどね。)
私自身も、適応障害から数年経って、今やピンピンしているけれど、今の私にとっても救いになった。将来、何があってもこの言葉がある限り大丈夫と思えた。

夜から素敵じゃないかの60分漫才を観に行った。
配信でいいかなと思ったけど、夫が観に行っときたいと言ったので、取った。
東京所属の芸人さんだし、生で観る機会も少ないもんな。
開場を待っている間、一人の女の子が小さいマスクケースにチケットを入れていたのだけど、それが
コマンダンテのものだった。
めちゃくちゃお笑い好きだ…
なんか圧倒された。

60分漫才は、うますぎて鳥肌がずっと立っていた。
もちろん、おもしろくて、ゲラゲラ笑うのは笑うのだけど、吉野さんの受けのバリエーションの多さ、うまさに、柏木さんのボケの突飛さ、ユニークさに、ぶわっと鳥肌が立ったのだ。
ラーメンズに影響を受けているのかな?と見受けられる、絶妙に小難しくてバカバカしいネタも何本かあった。ネタとネタのつなぎもとても上手だった。たまに、ネタとネタのつなぎが、めちゃくちゃ強引で、全然関係ない話を無理やり「けどな、お前そういえばこんなこともあって…」といって次のネタに持っていく漫才がある。たぶん、だけど、本や映画が好きな人で、起承転結を感覚的に判っている人がそのような漫才を見ると、継ぎ目が浮かび上がり過ぎて、「んん?」となると思う。
そのつなぎの言葉も、素敵じゃないかは華麗だった。
たくさんの本や映画などのコンテンツを頭に入れて、ネタを作ってるんだと思う。
それは私の勝手な想像だけど。
今年、M-1決勝行くかもしれない。

帰りは焼き鳥屋さんで晩ご飯を食べて帰った。

有意義な一日だった。

2023.8.6日曜日

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