適応障害と、会社を辞めないという選択肢について②診断直前の業務編
こんにちは。
富永晶子(トミナガアキコ)です。
セブンイレブンのことは、セブンと言います。
前回は、私の仕事を紹介させてもらいました。
今回は、適応障害と診断される直前の業務のことを書きたいと思います。
前回の記事①はこちら⬇︎
https://note.com/a___omo_a/n/ncfa1c2a4160a
臨床開発モニターとして4年間経験積んで、
平社員の中でも昇級したりなんかしてました。
私たちの会社では、担当するプロジェクトが
定期的に変わるのですが、4年目の2019年は、
急に休むことになった担当者の後任を、
立て続けに2件も引き受けることになりました。
1件目の時は、
年末にオフィスでパソコンをバタンとしめて、
急に泣き出し、年始から来なくなった方の後任でした。引き継ぎはありませんでした。
治験の手続きは進んでましたが、前任が決めた病院との期日には間に合いそうでなかったので、リスク回避として病院とプロジェクトのリーダーと了承の元、あらかじめ期日を引き延ばしました。
もちろん、それでも残業時間ありきの業務量であることには変わりありませんでした。
こっちが鬱なりそう…と軽口を叩きながらも、
当時の上司からは、
「この方の後任は、優秀な方しか頼めないんです。申し訳ないですが、あとはお願いします…」と言われたので、
よしっと踏ん張り、なんとか任された4つの医療機関との期日にも間に合わせることができ、
適切に治験が進めれるよう準備も整いました。
病院のスタッフの方々からも
「富永さんに担当交代してもらえてよかった!」と感謝されたので、調子の良い私は、
「へへっそうかな〜」と、
まんざらでもありませんでした。
問題は、次の2件目でした。
次の前任者は、引き継ぎこそありましたが、引き継ぎを完了後、そのまま休職に入られると聞いてました。
引き継ぎ中も、曖昧なところが多かったので、こちらから質問すると
「分かりません、知りません、あとはそちらで対応お願いします。」の一点張りで、
これはこの人に聞いても仕方ないと思い、
その場は終わらしました。
しかし、結局、大量の業務がまったくできていないことが、残された資料やメール、医療機関からの問い合わせの中で明るみになりました。
なんで、こんな状態まで放っておいたの…と絶望にになりながら、当時の私の上司(通称 : 狛犬)に情報共有と早急なサポート依頼も兼ねて尋ねると、
「前任者が東京オフィスの方(私は大阪オフィスの勤務)だったので、僕もよく分からないんですよね。」と狛犬には言われました。
※プロジェクトが変わると、上司もリーダーも変わります。
前任者が1つの医療機関と決めた期日が引き継いだ時点で3週間を切っていたので、大慌てで業務にとりかかりました。
他に任された3つの医療機関の業務も並行した中でのことでした。
「期日が迫ってるので、これとこれ、この日までに確認お願いします。」と、当時のプロジェクトの女性のリーダー(通称 : 般若)に依頼したところ、
「そんな差し迫った期日で回答はできません。
富永さんばかりエコ贔屓できないので」と、
私が決めた期日でも何でもないのに、
適切に対応しようとしているだけなのに、
エコ贔屓と言われる始末。
ちなみに、かなりタイトなスケジュールであったので、期日を延ばせないかと最初に打診して、
「そんなのできません」と断ってきたのも、この般若。
あなたが、この期日でやれと命令しておいて、
なぜ、協力が得られないのですか…?と
頭の中はハテナでいっぱいでした。
1件目の時は、チームのみなさんが私の状況を分かってくれていたので、
私からの依頼事項は、最優先事項として、
早急に周りもサポートし、すすめてくれました。
通常の状況なら、3週間の期日は多少無理はありますが、問題はない範囲内です。ただ、いかんせん、前任がいないので、溜めていた業務がいま、誰にボールが渡っているのか、そもそも手がつけられていないのか、状況把握する作業にも時間を無駄に割かれました。病院も少し特殊なところだったので、イレギュラーな対応に、かなりの時間をプラスアルファで費やす必要がありました。
こんなことなら、最初から私が担当したかった…
何度も何度も思いました。
それは、もう思い出すだけでも今でも吐き気がするほどの激務中の激務でした。
月の残業時間は100時間をゆうに超え、
サービス残業も含めると150時間は超えてました。
土日の休みもなく働きました。
前任者がいないので、医療機関に重複で問い合わせてしまうことも多く、
なんでこれも知らないの!社内で情報共有もできてないんですか!すでに前任者に伝えてます!と医療機関からは怒られる日々…
フラフラな状態で毎日仕事をするので、
小さいミスもありました。
同じ目標に向かって一致団結しなければいけないのに、医療機関側・般若、それぞれから
私がタイトな期日を決めたために、
周りを振り回すことになった、
悪の根源のような扱いを受けました。
もちろん、般若もプロジェクトのリーダーなので、前任が不在でぐちゃぐちゃにした中で、
私が業務を担ってることは十分把握してたと思います。
病院側は病院側で、大変な時期に急に担当者が代わり、イライラされたでしょう。
また、会社としては、こちらの問題でもあるため、仕方ないところもあると思います。
その中で私も精一杯、業務を行なっていましたが、相手の高圧的な態度に、何度も心が折れそうになりました。
ちなみに、熊本の病院でしたが、未だに、熊本駅にはトラウマで行けないです。
なので、その時の私の評価は、
えらい長時間、仕事をしているけど、なんかやたら小さいミス多いですね(半笑)
って感じでした。
実際の上司の評価は、そのあと休んでしまったので数値上はうやむやになり、
分かりませんが少なくとも私はそのように感じてました。
激務の甲斐あって、1ヶ月ほどでなんとかゴールが見えてきました。
狛犬から、
「あー期日には間に合いそうですね、ありがとうございます。」
みたいな簡単なお礼は私宛にメールでありましたが、
なんか思てたんとチガウーーー❗️
と笑い飯の西田さんのように心の中で怒ってました。
仕事は自分が努力すれば、数としては減らしていけるのですが、やはり「人」。
これは、自分の力ではどうしようもなく、
今までが良い人に恵まれていたのもあるかもしれないですが、
大変な状況で、業務を担っているにも関わらず、「これくらいできて当たり前」と思われると、
それは違うんじゃないか…?
いや、昇進するためには、この経験が必要だから、文句を言っちゃいけないのか…
と心の中でずっと悶々としてました。
つづきます。