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そこにあるのは、性別を越えた純粋な美

今日は仕事を早めに終え、ウクライナの国立バレエ団の踊りを観に行った。↓で姪っ子のバレエの発表会を観に行って、本格的なバレエを観たくなったのだ。

場所はNHKホール。
夕方からなのに、すごい暑かった…

美しや
オルガ様のサイン付き

しなやかな肉体の躍動に、終始目を奪われた。
神経が指の先の先まで、目一杯張られたピアノの弦の如く、ピンと張り詰めてるはずなのに、動きはなめらかだった。
彫刻のような、均等のとれた筋肉は、不思議とエロティシズムを感じさせず、ただただ、
そこにあるのは、性別を越えた純粋な美だった。肉体に限らず、表現の面でも、表情は演目と音楽に合わせて、緻密な演技をしていたことが、座席からも観て取れた。

ウクライナ侵攻から約一年半、今でも爆撃があるキエフに、180名ほどいた団員は100人弱まで減ったものの、残った団員たちは、変わらず日々バレエの練習に励んでいるらしい。
私は演目の中で、瀕死の白鳥が一番印象に残った。
悲しみや憤りが内在した芸術は、いつの時代でも心を打つのだろう。

いつか、キエフまで観にいきます。
今日ほど、平和を享受しなければいけないと感じた日はないよ。

帰りは洋食屋さんで晩ご飯を食べて帰った。
夫が遅くまで開いているお店を探してくれた。
「飲み屋さんというより、定食みたいな感じで、
早く出てくる食事の方がいいでしょ」とのこと。
さすが、分かっている。
食べ終わり、お腹がいっぱいだったので、
休憩がてら、iPhoneで日記を書いたり、
短歌を作ったりしていたのだけど、
隣で夫が帰宅の準備をし始めたので、
手を止めると、

「執筆中なんだから、キリのいいところでいいよ。」と言ってくれた。

執筆中…とても仰々しい言い方をしてくれるが、悪い気はしない。
夫は、私が日記を書いたり短歌を作ったりすることを決して馬鹿にしない。
おそらく、私が今まで出会った人(男女、関係なく)であれば、私の日記や短歌のことを言うと、
“えっ(笑)何やってるん、暇なん?”
みたいな感じの答えが返ってくると思う。
現実すぎて、今までこんなひもじい人間関係しか築けなかった自分が情けないよ。

夫に、
「あなたは、私のこと馬鹿にしないね。」と言うと、
「え?なんで?いいことだよ、アウトプットすることは。応援してる。」と平然と言う。

うん、こういうところ、
私も見習わないといけない。
まぁ、夫も曲作ったり、本や映画を観たら、
ノートに感想をしたためたりしてるから、
そういう方面については理解を示してくれるのかもしれない。

そういえば、バレエの時もカーテンコールの間だけは写真撮影いいですよ、と事前にアナウンスがあり、夫に、
「カーテンコールって何?」と聞いた。
なんとなく、エンディングの幕が上ることを指してるんだろうなとは思ったけど、間違えて写真撮っちゃったらいけないと思い、聞いたのだ。
(はい、カーテンコール知らないなんて、私すげーアホです)
すると、夫は表情ひとつ変えずに、ちゃんと回答をくれた。
「一旦幕が閉まって、みんなが手繋いで出てきたりする時のこと?」と聞くと「そうそう。」と、またまた平然と答えた。

「私のこと、すんごい阿呆だと思った?」
「え?なんで?まったく。」
「カーテンコール知らないなんてアホじゃん。」
「他人が何に対してどこまで知ってるかなんて、
僕には知る由がないからね。僕自身も世間では常識なのかもしれないけど、知らないことだってたくさんあるし。」
「けど、私が出会ったほとんどの人なら、自分が知ってることを他人が知らなければ、”なんでこんなことも知らないの?”って馬鹿にしたりしたよ。」
「そうなの?」
「そうだよ。」
と、一応、私なりに夫を褒めておいた。

いや、まぁこれはほんとなのだけど、たまに夫がくれる小さな奇跡に、私は感謝しかないのだ。
相変わらず、ナイスガイだ。

この話は、決して惚気ではない。


カーテンコールの間に撮った

2033.7.27木曜日

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