適応障害と、会社を辞めないという選択肢について③体調不良編
こんにちは。
富永晶子(トミナガアキコ)です。
四葉のクローバーは今まで見つけたことがありません。
2年前の2019年10月、前任が飛んだあとの処理を任され、周りからの協力が得られないまま、
一人奮闘し、超激務を終えて、
なんとか、ひと段落した時のことです。
前任者から引き継いで4ヶ月が経っていました。
①はこちら⬇︎〜お仕事紹介編〜
https://note.com/a___omo_a/n/ncfa1c2a4160a
②はこちら⬇︎〜診断直前の業務編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n90ea56f2ae83
山場は越して、マイルストンである期日もなんとか達成し、ほっとしたのも束の間、
39度の熱が1週間以上続きました。
今なら完全コロナかと疑いますが、
当時2019年10月あたりはまだ全然で、
どの医療機関に行っても、原因不明、インフルは陰性というこわいこわい診断が続きました。
なんならインフルであってくれよと思いましたが、休むしかできませんでした。
ちなみに、当時の体調不良が100%コロナではないという確証はPCR検査を受けてないので、
ありませんが、仕事が激務すぎて、週末は出歩くことはなく、当時はずっと家で寝てました、
週3日は在宅勤務で、※コロナ前から私の会社では在宅勤務を行なっていました。
オフィスへは徒歩通勤の週2回のみでした。
また、味覚障害はありませんでした。
色々思う方もいらっしゃると思うので、
念のためのエクスキューズさせてもらいます。
身体は抗生物質を服薬し、回復しました。
1週間ぶりに仕事に復帰した時のことです。
オフィスの扉をカードリーダーで施錠し、
ガチャッと開けた瞬間、
会社の人たちが一斉にパソコンに向かってカタカタと仕事をしている姿が目に飛び込んできました。今まで何度も何度も見ていた光景でしたが、
その時、ぐるんと、一瞬世界が回ったような気がしました。
「ずっと家にいたし、人混みにもまだ慣れてないからかな?」と思い、そのまま席に座りました。
やらなければならない仕事が山積みになっていることは、熱が出て休んでいる時も、
社用携帯からメールを確認していて、
知っていました。
しかし、一つの仕事をこなすのに、頭が働かず、手が動きません。
「あれ…なんだ。これは…。何もできない…」
不思議でした。メールの文字を読むことすら、
ままならず、何か話しかけられても、あまり理解ができず、はいはい、とうなずくしかできませんでした。
結局その日は早退しました。
週3日、私は在宅勤務が可能でしたが、家にいてもボーっとしてしまうため、オフィスに向かいました。けれど、その次の日も、またその次の日も、一日中頭がぼーっとするので、結局早退することが増えました。
業務がたまっているので、やらなければと頭では分かっているのですが、やろうとしても身体が鉛のように重たくなり、動けません。
その時くらいから、
一人で家のソファにぼーっと座っていると、
スーっと勝手に涙がでてきて、止まらなくなったりしました。
目を閉じても、目の前がチカチカして眠れなくなり、そんな時は、ふっと存在がなくなって、このままベッドで眠るように死ねたらいいのになと思うようになりました。
乳がんで亡くなった小林麻央さんの追悼番組を観て、なんでこんな、社会にとってもご家族にとっても必要な方が若くして亡くならなければならないのか、私が代わりに死ねればよかったのに…と思っていました。
私という存在が私をコントロールできていないという不自由さに、私はついにいたたまれなくなりました。
誰かに話を聞いてほしいと、ふと思い立ち、
「自殺相談窓口センター」(仮の名称)に電話をしてみました。
すると、
通話中でした。
通話中かーーい!!
と心の中で突っ込み、
当時、久しぶりに「ふふふ」と笑った覚えがあります。
すみません、つづきます。