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相談に乗ること

誰かの相談に乗ったり、悩みを聞いたりしたことってありますか?
相談は、相談をする側と相談を受ける側が存在するわけですけども、なんか、そういう話です。

相談する側

相談とかの類って、話した方は、話ができて、聞いてもらえてスッキリすることが割と多いんじゃないかなと思う。

もちろん、話す内容によって話す相手って選んでいるから、自分にとって聞いてもらえて良かったという相手を、私たちは知らず知らずのうちに選んでいる。

背中を押して欲しいのか
ただ話を聞いて欲しいのか
助言がほしいのか
認めてほしいのか
向き合いたいのか
 などなど、

自ずと自分の欲しい答えをくれる人を選んでいるのではないかと思う。
だって、的外れなこと言う人には相談しなくない?あと、自分の話に全部持っていく人とか。

話をする、言葉を交わすって、人間が生きていくために結構大事なことだから、
相談をして、言葉を交わすことができたら、ある程度人はすっきりして次に向かうことができるんじゃないかなと思う。

相談される側/相談を受ける側

では、話を受けた側はどうなのだろうか。
相談の内容によっては、それを受け取ることにエネルギーを使う。エネルギーの消費だ。

もちろん、話を聞くことが苦ではない人もいる。
話を聞いてあげて、なんだか役に立った気分でいられるのは悪くないと思う人もいるだろう。

でも、相談の内容によっては、その重みを一緒に持つことを半ば強制されるような形になってしまうのではないかと思うことがある。

聞くことで、相談される側もその重みを引き受けるのならば、それにはやっぱりエネルギーが必要になるし、エネルギーは消耗されていくと思う。
気づかないだけで、相談を受ける側は相手に対してエネルギーを使っているから、相談を聞いた後、なんか疲れたりとか、ふぅって思ったりすることがあるんじゃないかな。

消耗し続けないように、時間を決めたり、頻度を定めたり、エネルギーを補給したり、その人もまた誰かに話を聞いてもらったりしていくことが時には必要だと思う。

話す側もエネルギーを使う

話をする側も話す内容によっては、エネルギーを消耗する。

話す側はそれを話したくて話している場合であっても、疲れることがあるかもしれない。
話してスッキリできるかどうかは終わってみないとあんまりわからないことかもしれない。
話した後また頑張らなきゃいけなかったら、スッキリというよりは、もやもやを抱え続けることになるだろうし、話を聞いてもらえた感がなければ、尚更そのもやもやは曖昧なまま、心の中をぐるぐるするだろう。

重たい内容の話とかは自分の内側を開くようなものだ。自分の内側を開き、考えるのことは労力を使う。

しっかりと、閉じて元のようにできなければ、話を聞いてもらった後も疲れて、疲れ果ててしまうかもしれない。

そういう意味では話を聞く側もする側も気をつけておかなければならない場合がある。

ケアしてケアされるということ

話をする側もされる側も、どらちもエネルギーを消費する。
しかし、話をしたことで気持ちが落ち着く、整理されることがある。それは、話をする側がケアされるということだ。

それでは、話を聞く側はどうだろうか。

聞く側は話をする側を一見ケアしているように見える。しかし、ケアするということは、同時にケアされているというのだ。
話を聞く立場はその役割を任されている。役割を果たせるのは、その役割がそこにあるからだ。話を聞く立場を取らせてくれているというところで考えると、それはケアされているということなのではないだろうか。
また、話を聞く中で、例えば、アドバイスをするのに頭の中や心の中で考えたり、例えば、共感できるような事柄に出会えたり、そういったことを経て、聞く側も頭の中や心の中が整理されてケアされるということがあるんじゃないだろうか。
そんな風に思う。

だから、私たちは話をしたことでケアされたり、話を聞くことでケアされたりすることがあると思う。

人間は言葉を交わし、話をすることが必要な生き物である。このことを踏まえて考えても、私たちにとっては、話をされることやすることが両方必要なような気がする。
話を聞いてもらってケアされることも、話を聞いてケアしたようなつもりで実は聞いた人自身もケアされている。その相互作用の上に生きていることがある。

居るのはつらいよ

という本がある。

居るのはつらいよ/東畑開人

うまい紹介は書けないけど、ケアしているようで実は自分がケアされているということを実感できる本である。
そして、そのまんまの自分で良いこともなんか思わせてくれるような気がする本でもある。

なんか今いる場所がつらいな
なんかこの場に居づらいな
なんかしてないといけないのかな
自分のやってることに意味なんてあるのかな

とかって思った人は読むとケアされるかもしれない。

何もしないで同じところに留まり続けるのって結構しんどい。
人々は少なからず何か役割があることが救いになってるのかもしれない。
でも、本来はそんな色々なくたって、その存在自体に意義があると思いたいのだ。

まとめ

私たちは、悩みや苦しみ、もしくは喜びや嬉しみを人と共有し、共感してもらえることでエネルギーをもらう。

相手の聞いてほしい話を聞くことでその役割が果たされ、ケアしているつもりが実はケアされていることも起きている。

しかし、話をすることも聞くこともエネルギーをすごく使うこともあるから注意がいることもあるかも。

話ができつつ、
聞いてもらえつつ、
そのバランスが良ければ、
疲れすぎず、適度にスッキリとできて、
エネルギーもチャージできるのかな。

と思う。

おわり。

かぬと言います◎ ぽろぽろときもちやおもいを書いています。たまにらくがきします。読んでくださりありがとうございます☺️