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分岐点

高校の美術の先生は、自分の人生を大きく変えてくれた。これから先の長い道のりをまだ歩まなくともそこで大きく変わったと断言できるし、既に実感もしている。


模試や定期試験で数学の試験を終えた後、自分の周りでは数学ができる人同士で答え合わせがほぼ毎回行われていた。これは中学生の頃から、いや中学受験で塾に通っていた頃 - 算数時代から周りで起こっていた。
当然だがその場では数学ができる人たちが集まり、数学ができない人たちは集まらない。要するに、その場では数学ができる人たちのみ需要が発生している。

高二の終わりは進路を、将来やりたいことを考え始める時期だった。自分には建築の道に進むと決めていたから、物理や数学は他の教科より勉強していた。その時期まで一般の大学に進むことしか考えていなかったから勉強はそれなりにやっていた。

数学の答え合わせの集まりのことを考えていた。あれは多分、社会の縮図なんだろうと。
自分よりはるかに数学ができる人がクラスに何人もいた。だからその答え合わせに自分は需要がなかった。

-自分には何ができる?必要とされている?

別に他の教科もできるわけでもなかったし、このままでは自分に価値がないんじゃないかと思った。
ただ思い返せば、美術だけは誰よりも考えていた時間が長い自信があった。美術系の学校ではなかったし、クラスの周りの人は特に学年の中でも勉強ができる人が集まっていたから、その環境下で美大に行くなんて考えはそう簡単に生まれるものではなかった。

中高一貫校で、ずっと美術部に所属していた。それなりに絵も描いていた。高二の終わり、部で集まりがあってその時先生と隣になって進路を聞かれた。建築に進もうと思っていると伝えた。美大を出ているその先生は自分に、「美大にも建築はあるよ」と。
その先生は自分からなにか積極的に他人にアプローチするタイプの人間ではない。だからそれは自分にとって印象に残っていた。
先生はすごく絵が上手くて、自分の絵を中一から見てくれていた。その人が自分が美術の道に行ってもいいんじゃないかと提案してくれた。自分みたいな人間は美大に行った方がいいと、先生は知っていたんだと思う。

自分が美大に進学したのは、創作の海面下で息ができているのは、紛れもなく先生のおかげだ。
先生は、おそらく人を作品で見ている。
だから先生への恩返しの形は自分が作品を見せることだと思うし、それが創作を続ける理由でもあるのだ。

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