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走ること、



21.0975km。まあまあ長い、かも。ちょうど2ヶ月前に申し込んだハーフマラソン。まだ、走る習慣もできていないのに。というか、運動不足なのに。まあ、でも申し込んだらやるしかないし、それに道東へも行ける理由になるからと、眠る前に、ポンっ、と簡単に申し込んだ。
まあ、「そろそろ走ろうか」と思ったきっかけがあるわけだけど。1番大きなそれは、「みんなが忙しそうだから」である。勉強するとか、仕事をするとか、なんだって良いけど、みんな何かと大変そう。頑張っているからね。それに比べて私は、なんだか、何もないな。それなのに、疲れたな。と思う日が続いていた。何も頑張っていない私に嫌気がさして疲れてしまっていたのだと思う。みんな、すごく忙しそう。みんな、すごく頑張って生きている。そう見えた。私は、何しているんだろう、こんなところで。隠れ完璧主義なのかもしれない私は、いつも60点みたいな生き方がすこし嫌い。これをもう20年程続けてきているのだから、きっと受けれていかないといけないのだろうけれど。それに、完璧になんてなれやしない。それくらいも、知っている。少しだけ、わがままなだけだ。いや、すごく我儘なんだろうな。

申し込みをしてから、走ることを再開した。5年くらい前まではガチガチの陸上競技部に所属していたにも関わらず、はじめはジョキング5歩目でお腹が痛くなるほどだった。完全に体力を失っていたのに、数日後には3km走れるようになって、25日後には10km走れるようになっていた。意外にも順調に、練習を積み重ねていた9月。少しずつ、走ることに慣れてきているのが簡単に分かった。学生の頃のように、決められた時間はなくて。仕事と仕事。仕事とあそびの合間の限られた時間のなかで、すこしでも隙間を見つけて靴紐を結ぶ。転ばないように。解けないように。ひたすらに腕を振って、歩を進めた。街灯も少ない夜道に、ヒグマ注意の看板。まったく、北海道らしいランニングコースだ。それから、車もあるし、走るのに気持ちよさそうな田んぼ道や河川敷に1時間ほどドライブしてから、好きな場所を走ってみたりもした。秋冬の冷たい空気が肺に入り込んでくる感じとか、懐かしい。走ること、は日常生活を乗り越えることよりもいとも簡単だった。息も上がるし、もちろん苦しいのだけど、その時間は考え事を忘れていられる。今日のゴールに向かって、腕を振るだけだから。自分が頑張っているといないとか、そんなことどうでも良かった。こうだったらどうしようとか、これからどうなっちゃうんだろうとか、そんなことも。走ること、で忘れられた苦しみの方が大きくて、継続できたのだと思う。しかし、10月に入ってから完全に足が止まってしまった。走ること、以前の問題が積み重なりすぎていた。外気温は急に冷たくなるし、仕事が終わってから靴紐を結び直すのが億劫になった。これは、時間が経つのを待つしかない。ゆるく、ゆるく、生きていることも許してあげないといけない。走ること、で大切なことを思い出させてくれる。動き出すことも、耐えることも、受け入れることも。
出発する日の朝。「杏奈には何もないからね。」と言われるひと言で目が覚めた。誰かにそう言われていた。けど、きっとこれは自分の声である。そう言われるんじゃないかとビクビクしている。いや、自分でそう言っているのか。自信がない。誰かに言われるほど無いらしい。誰かには関係ないと思うけど。勝手に優劣をつけているのは私自身で、点数をつけているのも私だった。そして、それを隠しているのも、また。何もない、ことにきっと誰も何も言わない。それほど、誰も気にしていない。私だって、誰かにそんなことは一度も思ったことがない。それなのに、私にはそう思う。もっと、優しくしてあげて、もっと、大切にしてあげて。君には伝えられるのに、自分には通じない言葉たち。少しだけ斜め下を向いて歩く日々。重たい荷物を背負っている。その鞄には何も入っていないことを、私はまだ知らない。
今年も歳を重ねた0時00分。
「杏奈はこのまま強く生きて。周りのことは気にしないで。」そう、誰かが言った。まだ出会って少しの君に、全て見透かされているようだった。私は、まったく強くない。それも、君は知っているね。

10.30
先日、ハーフマラソンを走って来ました。
という、記録でした。

では、また。


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