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会えない人がいるということ。

会えない人がいるということ。

会えない人がいて、
会いたいと思える人がいることが
私のエネルギー源だと思う。

それに気づくのは、
会いたかった人に
会えなくなってしまった時だった。

やっと会えたと思ったのに、
もう会えないんだろうな、
と感じながら別れた時。

やっと良い時間を過ごせると思ったのに、
会えない人になってしまった時。

会いたいのに、会えない人の存在に気づいた時。

それでも、
また会えたら良いなと
心の片隅で願っている私がいることも気づいて
辛い。

父も、祖父も、
旧友も、あの人も、君も。

遠くで必死に暮らしていますか。
穏やかに眠っていますか。
お元気ですか。

会えないから、
会いたいと願ってしまうのは
とても残酷なことだなあ、と思います。

会えないのに、会いたいと思ってしまうから。

それでもまた、
会いたいと思う人は増えて、
その人たちに会うために生きてしまうんだろうなあ、と。

ここ数年で、会いたかった人に会える機会が増えたような気がします。
その分、会えない人の数も増えました。

良いのか、悪いのか。
と、冒頭に置いてしまう時は大抵悪い時だと
どこかで聞いたけれど、ほんとうに、その通りでした。

会いたい人に会いに行けるようになって、
会いに来てくれる人もいて、
そして会えなくなっていく。

「去る者追わず来る者拒まず」という言葉があるけれど、
私はこれまで去る者だったのだな、ということに気づき
これからは追わず側に立たなければいけないということも分かりました。

この町で暮らすことを決めたからなのか、
起業して居場所を作る立場になるからなのか、
ある程度の出会いと別れを経験してきたからなのか、
そうならなければならない、という思いです。

凸凹道で、転々としてきて
自分自身のキャリアというものがないことが
ネガティブ要素にもなるし、
そこを求めないからこそ
良い時間を過ごせて、良い出会いがあったことが
他の誰かが求めているキャリアに似たモノのような気もしています。

都合の良い考え方かもしれないけれど、
積み重ねてきたのはそれしかないから。


会えない人がいるということ。
それは、会いたい人がいるということ。
また、会えるように頑張ろう。
そんなこと無駄かもしれない。もう会えないかもしれない。
けれど、

これが私のやり方でした。
間違っていたらすみません。



また会いたいから、
これからも必死に暮らします。


そして、
また会えるように居場所を創りたいと思います。

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