どうしようもないほどおばかさん
いろいろ書きたいけど、まずは75kmをともだちと歩いた話しをしないと始まらないよな。と、なぜだかそわそわしるのでゲストハウスには関係ない話ですが失礼します。
当時、ひょんなことから始まったシェアハウスで、ひょんなことから歩き始めた2022年11月某日のはなし。
こういう企画の言い出しっぺは時々わたしなのだけど、始まる前になってやめようとているのも大抵わたし。「明日、75kmも歩くのか〜、やっぱりやめようか。」と言い出そうとする前に、想像を超えた勢いで「やるっしょ!」と、当然のように明日にわくわくしているともだちを見て、「そうだよな〜、やらないとな。」と思い知らせる。いや、土日の休日を使って、75km歩き続けるなんて当然じゃない。わたしたちは、どうしようもないおばかだからそんなことには気づかず同じ屋根の下で眠った。
当日。
7時に出発しようと話していたけど、部屋の窓に当たる雨音と、風の音で目が覚めたから、やっぱり今日は「やっぱりやめよう。」とまた思った。ともだちが起きてくる音がして、やっと重たい体を起こして準備した。結局家を出たのは8時過ぎで、遠くで雷もなり始めていた。ひとりひとつ自分のリュックを背負って、カッパを来て玄関で写真を撮り、ここからスタートの記。
1泊2日の予定だったから、私は着替えをすこしと貴重品と化粧品類を少しだけいつもの無印のリュックに詰め込んでも余裕があるくらいだったけど、ともだちは隣の隣のさらに隣の町まで歩くだけなのにこの人はどこへいく気なんだろうってくらい重たそうな大きなリュックを背負っていた。
今なら隣の隣のさらに隣の町まで歩くのだから、ともだちの方が正しい気がする。たしか500mlのペットボトルを一本持ったくらいで、道中のことなんてなにも考えていなかった。「75km歩くこと」しか考えていなかった。せめて飴玉だったり、もしもの怪我とかに備えたりするべきなんだろうなと、5分歩いて思い始めた。75km歩くのに、信じられないほど身軽で、まるでお散歩気分だった。「いつになったら歩けないほどへとへとになるんだろうね。」なんて会話をしながら、雨の日の静かな休日の町にわたしたちの笑い声が響いていた。
この企画は、「せっかくシェアハウスで暮らすなら、ここで暮らさなければやらなかったであろうことをやってみようぜ!」なんて会話からうまれたなんでもないことだ。なんで歩いたのか、なんて聞くべきではない。(誰にも聞かれてはない。)一歩ずつ地道に歩いた。せっかく歩いた道にわたしたちの足跡は残らないし、何かカタチになって残るわけでも、もちろん人生が変わるわけでも、何者かになれるわけでもない。そもそも、わたしたちはそんなものを求めていなかった。ただ、笑って、ばかみたいに歩いていた1日を過ごしただけだった。
1時間に進める距離は4、5kmで、ただ一歩進むことを繰り返していた。まだひとつの町も過ぎていないのに足取りが重くなってきていたけれど、普段の車窓から見える景色との違いにいちいち感動していた。一旦あそこまで頑張ろう、と目標にした大きな看板も歩くと程遠かったし、あと2kmと青い看板に書いていたはずなのに、あと2kmは上り坂で、、、言葉にもならなかった。途中でパン屋さんに寄ったりしながら、おかしな話しばかりしていた。4文字限定しりとりをしたり、当時わたしたちの中で流行っていたファインディング・ニモに出てくるウミガメのクラッシュのマネをしたり、サザエさんのたらちゃんのマネをしたりしていた。2日間並んで歩いていたのにそんな記憶ばかり残っている。長い長い国道を歩いている人はわたしの他にはいなかった。時々、歩道が整備されていなくて、ビュンビュン走る車の真横を歩いた。普段は車を運転しているからわかるけど、めちゃくちゃ邪魔だったと思う。でも、歩くしかなかったらかしょうがない。「どこまで行くんですか?乗りますか?」なんて聞かれたら、こちらからお断りする勢いだった。(誰にも言われてはない。)
車で30分先のローソンにともだちのバイト先のマスターが応援に駆けつけてくれていた。私たちはすでに5時間歩いていたのに。文明の凄さを全身で感じた。「いつになったら歩けないほどへとへとになるんだろうね」と出発してすぐに言っていたけど、すでになっていた。日も暮れてきて、こんなに長い国道なのに、街灯がほとんどなかった。そして、私たちはこんなに重たい荷物を背負っているはずなのに、スマホのライトくらいしか光るものを持ち合わせていなかった。足元の見えない真っ暗な道をひたすら歩いた。もう体力も無くなってきていて、途中で寄った食堂で座るのにも声がでるほど足が痛かった。そして、ここまで歩いてきた私たちをお店の方々が褒めてくれて、そういえば店主のおじちゃんが宿まで運転してくれようとしていた。有り難くお断りした。こういう時、本当に人の温かさを感じる。本日の宿まで車で数分の距離を私たちは再び歩いた。
宿は森の中に佇む素敵なペンションだった。疲れた体でも心は踊った。いったんベッドに横になったら動けなくなりそうだからそそくさと眠る準備をして明日に備えた。ともだちの足からが流血していて驚いた。それで歩いていたなんて笑えないはずだったけど、わたしたちは本当にどうしようもないおばかだから笑っていた。明日は今日よりは数十km少ないけれど、今日まで歩いたことのない距離を歩くことに変わりはなかった。朝はペンションのオーナーの方がコーヒーを淹れてくれて、また人の温かさに触れた。本州から70歳の女性が自転車でここまで来た話しもしてくれて、上には上がいすぎることを知った。
よく眠ったから体力はだいぶ回復したけど、足は痛かった気がする。それでも小走りした方が楽な気がして、3人で掛け声を揃えながらたまに走っていた。ほとんど勢いで前に進んでいた。その光景が面白すぎて、いまでも時々思いだす。ゴールに近づいてくると歩行者も少し増えたけれど、私たちは必死に掛け声を続けていた。コンビニや道の駅やそのへんで休んだりしながらここまで歩いたことに一喜一憂した。
ともだちがへとへとになっているのもわかって、それがまた面白くてわたしたちはへとへとなのに笑っていた。
家を出てから計23時間歩いて、ついに私たちは75km先の目的地に辿り着いた。周りの人からしたらなんてことない場所で私たちは手を繋いでゴールした。いつもなら開店と同時に入らないと並ぶらしい串やさんにたまたま入れて、みんなだいすき黄色い美味しい飲み物で乾杯した。そうこうしてたら帰りの電車の時間になって、家のある町まで1時間の特急列車に乗って帰宅した。
こんなに早く帰れて人間の小ささを実感した。駅からし家までは「しばらくは歩きたくないし、こんな距離歩くこともうしない」という会話でわたしたちのおばかな旅はおわりました。わたしもやってみたいです!というメッセージも頂いたけれど、わたしたちはもうしないと思います。心から盛大に応援はします。
こんな遊びをしている時と同じ時期に
今暮らしている東通村を見つけました。
ここに行こうと思っているんだよね、と初めて話とたのも歩いている時でした。
そんなこんなで、今月末には3人共ハーフマラソンに挑みます。(歩かないと誓ったのに走りはするらしい)
挑むというほどみんな練習できていないと思うけど、楽しむ気持ちだけは各々ちゃんと準備していると思います。
75km歩いた実績があるのできっと大丈夫です。
書いてすっきりしたので、
マラソンも、開業へ向けても
がんばりますほどほどに。
たのしみましょ〜。ね