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無償の


「好きな人をどうしたいとか、あんま思わないですけどね。この同じ世界で、どこかで幸せに生きてくれてたらそれだけで嬉しいもんな。」

好きなアーティストが、先日のインライでさりげなく言っていた言葉。

基本的に歯に衣着せぬ物言いをする方だと認識しているので、偽善でも何でも無く、本心であることがわかっている。

いや、心の内など、誰にも知り得ないけど、
そう言葉にできること自体がすでに愛であると思う。
だって相手がその言葉を耳にしたら、きっと心が洗われるから。

そんな「愛」について考えさせられた一方で、
自分はどうだろうかと思った。

愛のようなもののそばで、
常に憎しみが見え隠れしている。
紙一重の愛憎。

幸せになってほしいから、SNSをブロックした。


自分のような、相手にとって暗い気持ちになる存在なんて一刻も早く忘れて欲しかった。
いいや、幸せになっても何となく苦しいと思うように、むしろずっと憶えていて欲しかった。
いや、やっぱり、これまでの私の言葉や姿形の全てが恥ずかしいから、何もかも忘れて欲しかった。

愛のようなものと、エゴと、堂々巡り。
結局わたしは自分の存在が惜しい。
人に、彼に、愛されたかったのだと思う。

明らかに叶わないとわかっている時の、人に何かをしてほしいという期待は、どうしてこんなにも筋違いなのか。どうしてこんなにも虚しい気持ちになるのだろう。

本当は、望んでいないから。

相手が望んでいることを曲げてまで、
自分を愛してほしいなんて。
欲しかったけれど、本物でないなら要らないよ。

私は、たしかに彼が好きだった。
自由な人だから。

ずっとのびのび、少年みたいに
元気でいてほしいな。
腹は立つけど、苦しんでほしいわけがない。

そうは言っても、ある日にはまた憎たらしくなったりしていることでしょう。私は未熟だから。

でも、今回の言葉でわかったことがある。
執着を取り払えば、
きっと少しでも、愛のようなものが理解できるでしょう。

それはきっと他人だけでなく、
自分をも幸福にする。

好きな人が幸せなら自分も嬉しい、って
これ以上素敵なことはないよ。
何も恋愛に限ったことではなくて。
それが人生のゴールかも。
そういう愛を、自分ひとりだとしても、実感するということが。

わたし、それを目指すことにした。
今はきっと難しくても。
自分が死ぬときには、同じ言葉を思い浮かべていたい。

「好きな人が幸せなら、幸せだったなら、
私も幸せ。」と言うんだ。


ちなみに。

冒頭の言葉を放った好きなアーティスト。

奇妙礼太郎さんでした😊

ぜひ皆さま、聴いてみたり、ライブをちょろっと見に行ってみたりしてみてくださいね。
幸せな気持ちになります。
歌声もさることながら、
お人柄も、飾り気なく自由で素敵な方です。
音楽を腹の底から楽しんでいることが伝わってくるようなアーティストが大好き。


日々頂いている、愛や幸せの手がかり
についてのご紹介。
本日は、お気に入りの音楽からでした。

読んでくださった方がいたら、ありがとう。

それでは。すこやかに!



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