中学英語で飛び込んだ人生を変えた高1夏のフィリピン留学
Hi everyone.
今年の夏、僕は夏休みの計画を立てる際、1つの大きな決断をしました。それは、フィリピンという国で留学をすること。初めての留学であり、知らない土地での生活は不安でいっぱいでしたが、それを上回る興奮や期待感が僕を駆り立てました。フィリピンでの生活や学び、そして私が出会った様々な人々との交流の中で感じたことを、この記事で詳しく共有したいと思います。
なんとなく留学決める
僕は留学前から英語が話せるだけで人生の選択肢が広がるということは知っていました。
だから英語を習得するために独学で英語の勉強をしようとしましたがそもそも英語の勉強のスタートが周りの人より遅く、周りと比べることで英語に対する苦手意識があったし、英語は言語であり、目に見えて成長するのが遅くて挫折しました。
どうすれば良いかわからず悩んでるときに留学すれば自然と英語できるようになるんじゃね?という甘い考えと今年のゴールデンウィークにアメリカに10日間家族旅行をして異文化を知るのは面白いと感じていたためなんとなく海外への留学を決意しました(留学2ヶ月前)。
親からは近いし安いし英語の勉強ができるからフィリピンへの留学をおすすめされました。
特に留学先の国へのこだわりがなかったためすぐに留学エージェントに相談してみました。
さすがというかエージェントは優秀で、すぐに留学が細かく決まっていきました。
また、エージェントからは最初にレベル分けのテストがあるから英語の勉強はしなくて大丈夫だと伝えられていたため、中学英語しかできない状態で留学に行きました(今思えば絶対に勉強をして行ったほうが良いと思いますw)。
ちなみに高校一年生で夏休みというまだ高校が始まったばかりのとき、さらに真面目に勉強していなかったため僕の英語力は中学で止まっていました。
しかし留学に行く前は英語を勉強しに行くというか旅行するという感覚だったためすごい楽しみにしていました。
留学1週間目
成田から出発、そしてマクタン空港に到着
夏休みが始まって最初の日曜日の朝4:30に起きて電車に乗り、6:30に空港に到着。
成田空港からフィリピン行きの飛行機に乗る人が多く、セブパシフィック航空のカウンターには大量の人が並んでいました。
その影響かはわかりませんが、搭乗口でも並んで…結局飛行機は30分遅れぐらいで出発しました。
僕はフィリピンのセブ島の一部であるマクタン島の語学学校へ行きました。
マクタン空港きれい!
空港から出たとき、フィリピンの気候は日本とは違い、湿度がなく不快な暑さを感じなかったです。
また、最初は外国人と英語で話すことに慣れなくて空港に迎えにきてくれていた先生と全くコミュニケーションが取れなかったです。
なにより聞き取れなかった…
空港から語学学校への移動中、外の景色を見ていたのですが、日本と全く違っていてすごい衝撃でした。
道路は作り途中でガタガタしていて、歩道は汚く狭くほぼないようなもので歩いている人の服はボロボロで汚く、道路のすぐ横に家があり屋根がトタンでした。
また犬と山羊が大量に歩きまわっており、まともに信号や白線がなく交通がぐちゃぐちゃでした。
TVの中でしか見たことのない景色で本当に驚きました。
留学施設には日曜日の授業がない日に入寮して、次の月曜日から授業がスタートする感じでした。
驚きの留学施設
僕が利用した語学学校はマクタンニュータウンというニュータウンに近く、今年からオープンしたので、到着前までは綺麗で便利な生活が送れると思っていました(イメージ写真もとても綺麗だった)。
しかしもちろん外部は日本基準だとボロボロで、内部はペンキを塗っていたり、機械音が響いていたりと作り途中感が半端なかったです。
留学を決めたのが遅く、1ヶ月間の留学で夏休み中だとその学校ぐらいしかなく、今年オープンというリスクを背負いましたが、本当にひどい感じでした。
しかもイメージと全く違う…w
部屋は1人部屋にしていて室内は洗面、トイレ、シャワー、ベッド、机、ベランダがあるだけで本当に質素な作りでした。
まぁ僕はそこに関しては全く不満はありませんでした。
しかし、水道から出る水が黄色に濁っており、シャワーはお湯が出ませんでした。
しかもたびたび断水が起きていました。
2週間目からは改善されたのですが、1週間目が酷すぎたため1週間分の水道代が返金されました。
水道の水を使ってうがいをしていた人がどんどん腹痛を訴えるようになっていきました。
だから僕はウォーターサーバーの水でうがいしていました。
あと念のために持ってきていた整腸剤を飲んでいました。
授業スタート
授業開始1日目の月曜日は授業というか教材を決めるためのテストとオリンテーション、近くにあるマクタンニュータウンという街へ観光に行くということぐらいしかありませんでした。
また、この日に留学施設内で初めての食事をしたのですが、正直言って超不味かったです(食事は留学会社が韓国企業なのでフィリピン料理ではなく韓国料理)。
次の日から本格的に1日6時間マンツーマンの授業がスタート。
最初の週だけ7時間でしたw
プラス1時間は朝と夜に30分ずつあるボキャブラリークラスというもので1日に簡単な10単語ぐらいを覚えるというものでした。
1週間目はその授業をとっていたのですが、2週間目以降はたった10単語(知っているのを除くと2,3単語)を集団で1時間かけて覚えるのは非効率で時間がもったいないと思い次の週からその授業はとりませんでした。
最初の授業は初めてのマンツーマンで、しかも英語で外国人の人と話すということでとても緊張していました。
なかなかリラックスできず、最初の1週間は授業がとても長く感じました。
また、日本の高校でも6時間授業は普通だし疲れないかなと思っていましたが、リラックスできない状態でマンツーマン授業は本当に疲れました。
しかし、フィリピン人である先生たち(僕の先生が当たりだったのかも)はみんなフレンドリーな人で笑顔が多く、先生だからかわかりませんが優しく教えてくれ、僕のザコい英語も頑張って意味を読み取ってくれました。
授業中、僕の英語は中学レベルだったので先生の言っていることが聞き取れなかったり、言いたいことを表せなかったりと辛かったです。
しかし先生にゆっくり話してもらったり、わからなかったら途中で単語の意味や文法の気になったことを聞いたり、ジェスチャーや紙を使って頑張って言いたいことを伝え、コミュニケーションをとりました。
のちに僕の先生が「多くの留学生はわからない状態のまま質問をせずに進んでしまうが、君は毎回質問してきて良い(good)。授業は全く進まないけどね(笑)」と褒めてくれました。
留学中は本当に授業が楽しく、留学が終わった今、とても寂しい思いをしています。
最初の週末
僕が行っていた語学学校は危険だから未成年のみでの外出が禁止されていました。
だから週末は外に出れないため、僕の場合は親が週末に来てくれました。
しかし、実際には週末には成人の人が外に遊びに連れて行ってくれたり、観光のツアーを企画してくれたりと週末は未成年でも遊ぶことができました。
まぁ僕の場合はせっかく親が来てくれたので週末は親と過ごしました。
最初の週はお父さんだけ来てくれて、ホテルのデイユースとショッピングモールに行きました(デイユースとはそのホテルに宿泊していない人でも宿泊費より安いお金を払うことで1日そのホテルの施設を利用できるパスのこと)。
最初の土曜日はシャングリ・ラという五つ星ホテルのデイユースを利用しました。
実はシャングリ・ラでは土日はデイユースの販売を行なっていなかったのですが、2人だけだったので特別に土曜でも利用させていただきました。
さすがは五つ星ホテルという感じで値段が高い以外不満な点はありませんでしたw
そこで昼食を食べたのですが、どれも食べ物が超おいしかったです。
日本でも大ヒットしそうな味でした。
ホテルの中には日本、中国、韓国、台湾の人たちが多かったです。街中で日本人を留学生以外で全く見なかったのですが、ホテルの中に潜んでいました。
次の日はSM City MallとSM Seaside Mallに行きました。
ここで一番驚いたのがモール内の物価がすでに日本と同じ、もしくはそれより高いということでした。
電子機器(見たのはテレビとスマホ)の値段がもう日本と同じでした。
おそらくそれらの製品はフィリピン外から輸入してきたものなので日本とほぼ同じなのかなと。
またそれらの電子機器を売るお店が大量にありました。
あれだけあるということは一定の需要があるということだと思います。
フィリピンは貧しい国というイメージでしたが、国としては貧しくても一部地域ではそんなことはありませんでした。
貧富の差がすごく激しいのかもしれません。
SM City Mall内で食べたラーメン(日本食としてのもの)は味は良くも悪くもない普通でした。
また、ブコジュース(ココナッツジュース)を初めて飲んでみました。
飲む前はココナッツジュースって甘いというイメージでしたが、身から出した何も加工していないものは全然甘くなく、自分は歯磨き粉みたいな味だと感じましたw
SM Seaside Mallは円になっていて一周できるのですが、ネットの記事には全てのお店を回るのに40分かかると書いてあり、40分の道を歩く感覚で歩いていたらなんか同じお店見ているような...と不思議な感じになりました。
実は一周は10分ほどでそれに気が付かずに6,7週ぐらいしていましたw
3階構造なので多分一周は10分ぐらいだったのでしょう。
中にはスケートリングやアーチェリーができる施設がありました。
そこで人生初のアーチェリーをしました。
夜はCabanaというレストランに行きました。そこで食べた海老パスタが超おいしかったです。
留学2週間目
留学施設内での生活
2週目からはリラックスできてきて授業を気軽に受けて、先生と雑談をするような感じになっていきました。
教材の内容のレベルは低いものや質が悪いものもあり、先生とコミュニケーションをとる方が有意義なものでした。
もちろん教材を変えることもできます(僕はリスニングが難しくてレベルを下げました)。
留学2週目からは卒業する人も数人出てきました。
だから卒業式が行われました。
とても盛り上がっていました(主に先生)。
また、この週は偶然パーティーが開催される週でした。
私は友達になったタイワニーズ(台湾人)3人と一緒にパーティーに参加しました。
料理は冷めたチキンとピザと白米がありました(with Flies)。
ちなみにフィリピンでご飯を食べるときはホテル以外、常にハエと一緒です。
1ヶ月もいると慣れてきますよ(多分)。
しばらくすると何人かが私服のままプールにダイブ。
最初は日本人は誰もダイブしていませんでしたが、何人かは担がれて私服のまま飛び込み👋(もちろん僕もです笑)。
オランゴ島へ
2週目の週末、またお父さんに来てもらいました。
この週末は土曜日にオランゴ島という近くにある島に行きました。
オランゴ島は観光地という感じではなく、船の中も僕たちが唯一の観光客っぽく、島には観光客用の建築物はありませんでした。
島ではボロボロの自転車を借りて島の一番端にあるレストランに行きました。
レストランといってもみなさんが想像しているものとは違く、日本で言うなら田舎のレストランっていう感じです。
しかしオランゴ島では高級レストランという扱いっぽく、地元の人は誰もいませんでした。
僕は焼いたエビみたいなものを食べました。
フィリピンに来てから食べたエビは全部美味しい!
ブルーウォーターマリバゴ
次の日はマリバゴという4つ星のホテルに行きました。
5つ星と4つ星ではとても大きな差を感じました。
マリバゴでは何もないという感じで、プライベートビーチも大して広くなく、プールも小さく、ビーチには特に何もありませんでした。
ご飯もビュフェでしたが、味は普通という感じ(エビは安定で美味しかった)。
留学3週間目
3週間も経つともうだいぶフィリピンの生活に慣れてきました。
また、先生とも仲良くなっていき、先生についても知るようになりました。
外食で日本食レストランに行く
外出する機会も多くなってきて、マクタンニュータウンの日本食レストランに合計で3度行きました。
授業が終わったとの夕食時にタイワニーズの友達に日本食レストランのことを話したら"Let's go together"と誘われて行ってきました。
状況としては僕が最年少で、タイワニーズ8人と日本人1人(自分)で行きました。
台湾人が多く、彼らはレストランで中国語を使って話していて、まぁ僕は中国語がわからないので黙っていたのですが、僕の友達の2人のタイワニーズは積極的に英語で話してくれました。
それに影響されて他の台湾人も英語で話してくれました。
そこで台湾の物価(都市部)はとても高いが収入はとても低い(若いから)というのを知りました。
思わずHow do you live?と聞きましたが、彼らはわからないといっていました。
もしかしたら彼らにとっては節約をしていない生活でも日本人からしたらそれは質素な生活と見えるのかもしれません。
また、彼らからすると日本というのは物価が安く、サービスがよく、発展していて、景色も綺麗で…と魅力が多く日本に住みたいと言っていました。
僕の友達の台湾人は今年か来年に東京に行くと言っていました(その時は会いに行くつもり)。
食事中、お互いの言語について教えあったり、日本の北海道について(北海道に行ったことがある人がいた)、アニメや漫画について(彼らにとっては結構古いものが人気らしい)話しました。
このときに日本人で良かったなと感じました。
なぜなら私は台湾のことについてはタピオカぐらいしか知らないのに向こうは日本のことをたくさん知っていて、興味があるため会話が途切れないからです。
よく外国の人と日本について話したのは、漫画やアニメ、日本食、日本の景色でした。
また、外国の人からするとラーメンは日本食らしいです。
僕はそのことについて話すときに中国が発祥だと伝えますが、今調べるとラーメンが日本食だと考える人もおり、ラーメンが日本食かどうかは定かではないらしいです。
僕の友達の台湾人に日本食はどうだと聞くとフィリピンに来てから一番美味しい料理といっていましたw(彼らはラーメンとカツ丼を食べていた)
その次の日も日本食レストランに行きました。
しかし今度は日本人が多くいました。
日本人が6人、韓国人が1人、台湾人が2人でした。
台湾人の2人は前日に僕に英語で話し続けてくれていたので僕は食事の時に彼らの近くに座り、周りが日本語で話している中で英語で話しました(韓国人の人は日本語少し話せる)。
これは僕個人の感想であり、各々の留学の目的によりますが多くの留学生はせっかく海外に英語を勉強しに来たのに自分の国の人と友達になり、自分の国の言語を使いすぎていると思います。
もちろん僕も日本人とも仲良くなりましたが、日本人と話すのと同じぐらい他の国の人とも話しました。
それは僕の今回の留学の目的が多文化を知ることと英語の上達だったからです。
フィリピンで高熱
レストランに二日連続で行った次の日、ついに発熱。
留学スタートからどんどんみんな体調が悪くなり、ついに僕まで体調が悪くなりました。
みんなで留学施設内の寮で密集して生活しているためクラスターが発生するのは仕方ないことでした。
僕は1人部屋なのですが多くの人が相部屋なのでそれもあってすぐに広まっていきました。
熱はとても高く、一時期は40.3度まで熱が上がり、辛かったです。
僕の場合、幸いなことに金曜日に発熱し、そのときには家族が旅行として留学施設の近くのホテルに滞在していたためそのホテルに移り、四日間かけて治しました。もちろんその間の授業は欠席しました。最後の休みが無駄になってしまいましたw
留学4週目、みんなとの別れ
留学4週目、最終週です。
最後も変わらずいつも通り授業を受けました。
最後の授業の日、先生と写真を撮ったり、先生へメッセージを書いたりプレゼントをもらったりと、僕の先生たちは別れを惜しみました(もちろん僕も)。
卒業式では短い文でしたが卒業スピーチをもちろん英語で行い、卒業証書を受け取りました。
卒業式が終わり最後の食事を外で食べて、部屋に戻った瞬間卒業を実感してとても寂しい思いになりました。
この留学で出会った先生や友達とはもうほぼ永遠に出会うことはないと思い、本当に悲しく、恋しい気持ちでした。
正直今までの別れの中で一番悲しいものでした。
フィリピン滞在最後の日、帰国する日、朝5時に起きて誰もいない廊下を1人で通り、エレベーターで一階に行き、Grabでタクシーを呼んで留学施設内でタクシーを待っていました。
そのときもすごくすごく寂しい気持ちでいっぱいでした。
このブログを書いている今でも先生と友達がとても恋しいです。
まとめ
僕は留学前と比べて英語を話すことへの抵抗がなくなりました。
そして、この留学で異文化を知る楽しさを知り、もっと世界を見てみたいと感じ、海外の高校(転校)、大学に行くことに決めました。
たった1ヶ月の留学でしたが僕にとっては多くの学びがあり、私の人生でもっとも重要な思い出の1つとなり、僕の人生を大きく変えた経験になるでしょう。
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